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いくつ覚えてる?平成の初めの頃学校でよくある風景を振り返ってみた。


平成の初めの頃学校でよくある風景

こんにちは。Bliss(@Bliss_Blink)です。

今日新たな新元号が披露されました。

平成から「令和」になりました。

そしてこの”令和”によってローマ字での表記が「R」になるとは誰も予想していませんでしたね。

一番最後にラ行が使われた元号は古く、奈良時代の「霊亀れいき」まで遡るとのことでしたので、ラ行の元号はかなり大胆な試みも隠されていたと知りさらに驚きます。 (イニシャルに”R”が入るうちの娘の場合、これからはRの時代だと息巻いております。)

日本最古の歌集の万葉集「大伴旅人」の春を歌う歌からとったということで、有名な防人さきもりの歌を始め、当時の庶民の歌の代表作でもある万葉集から出典し、豊かで多様性のある日本文化であるよう願いを込めたと安倍総理は伝えています。

安倍総理も”令和”の印象を「梅の花の香りを感じるような」と形容していましたが、文体から凛とした古式ゆかしい感じがして早くも好きになりそう。

令和という字に「風光明媚で美しい国日本」日本人の奥ゆかしさや凛とした美しさを感じました。

ラスト1ヶ月ということもあって、TVでは連日のように平成を振り返る番組がゴールデン枠を占めていますが、では、平成初めの頃のことって覚えていますか?

平成の初めの頃、学校でよく見た風景を振り返ってみたら懐かしさが込み上げて来ました。

平成の初めあるある:昭和天皇の崩御で学校が臨時休校になった

31年前、平成元年に当時9歳だった時のことを思い出してみました。

平成の幕開けは昭和天皇が崩御されたことで慌ただしくスタートしたんですよね。

昭和天皇が体調を崩されてからご病状などがリアルタイムでテレビに映し出され、子供ながらにスゴイ人がとんでもないことになっていると固唾を吞んで見守っていたものです。

なので崩御(天皇が亡くなること)された時は大変な国葬になりましので、朝から晩までどのテレビ局にチャンネルを回しても崩御のニュースです。

(チャンネル回すって何?と驚くなかれ。当時はTVにリモコンなんてなくダイヤルでチャンネルを変える=チャンネルを回すという表現がありました)

自粛ムード一色で、全国の学校という学校が臨時休校となり、会社も商店街もデパートも臨時休業。国民は一斉に喪に服しました。

街中の商店街は静まり返り、動いているのは店先に掲げられた半旗ぐらいという、今では考えられないほど「自粛!自粛!」の厳かな雰囲気があったような気がします。

昭和は激動の時代でしたから、辛い戦争を経験した人達にとって昭和天皇の崩御は一つの時代の終わりを告げたことになるので、今は亡き私の祖父母も戦争経験者で、さらに祖父はシベリア抑留も経験しているのでその心境はどれほどだったかと今になるとしみじみ思います。。

…とは言え、深いことは何も分からない子供にとって、降って湧いた臨時休校にヤッホーな気分なのが正直なところ。

崩御の日は暇を持て余した人で街は溢れていたそうで、当時はまだレンタルビデオ店だったTSUTAYAが混雑していたなんて話も聞きましたよね〜。

不謹慎だという意見はいったん置いて、テレビを付ければニュース一色だった場合、スマホもネットもスカパーもない時代の娯楽と言えば当時はレンタルビデオ店で映画を借りるぐらいしかなかったので、ツタヤに行くのが自然な流れだったんです。時代ですよね。

そもそもレンタルビデオ屋もない田舎の生まれなので、自粛ムードにあっても我が家は普段と変わらない毎日でしたが。

崩御の後は急ピッチで新元号が”平成”に制定され、あの有名すぎる一幕である、故小渕官房長官によって額縁が掲げられ「新元号は平成であります!」の宣言とともに時代は平成へと進みました。

平成の初めあるある:幻の”昭和64年”の存在を知っている

平成の波に押されてわずか7日間しか存在しなかった年があります。

それが奇跡の和暦”昭和64年”!

昭和64年のお正月に昭和天皇が崩御、その後すぐ1月8日に平成元年(改元)がスタートしたため、昭和64年はわずか7日間で終りを告げることになりました。

実際にこの7日間の間、奇跡の昭和64年に生まれた人には会ったことがないのですが、すぐ後にやってくる平成元年に生まれた人と比較されちゃう気がしてかわいそうな気もしますね

悲しいことに「昭和生まれ」と「平成生まれ」ってぜんっぜん響きが違うものね…。

これから令和生まれが出てきたら平成生まれも年寄りだなんて言われる時代が確実にやってくるわけで。

…昭和生まれの私は黙ってようっと。

平成の初めあるある:教室で湾岸戦争の生中継を見たことがある

教室で湾岸戦争の生中継を見たことがある

平成始まったからと思ったらアメリカとイラクが湾岸戦争をおっ始め、しかも日本時間の真昼間から開戦したため学校でリアルタイムで見せられたのを思い出しました。

これってウチの地元だけ!?と思いきや、学校で湾岸戦争の中継を見た記憶がある人何気に多いです。

戦争開戦の模様はTVで生中継されたので、暗闇の中をアメリカ軍のパトリオットミサイルがロケット花火のようにビュンビュン飛び交っている映像が印象に残っている人も多いはず…。

当時、アメリカの敵国だったイラク首相・グリーンベレー姿のサダム・フセインの姿は頻繁にTVで見ることが出来ました。

平成の初めあるある:書き初めで「平成元年」を書いたことがある

書き初めで「平成元年」を書いたことがある

小学校の授業では今でもお正月になると毛筆で”書き初め”をするのが一般的ですが、お手本には四文字ぐらいの語呂の良い文字が多かったのですが、平成なりたての頃は語呂が良かったのか「平成元年」がお題になっていました。

よく見ると「平成元年」は画数も程よく、毛筆で大切な”止め・はらい”ポイントもある。そして何より見栄えもGOOD。教室の後ろの壁には「平成元年」がズラ〜っと並び壮観でした。

しかし”令和”は5月の始まりなので”令和元年”が存在しないではありませんか!

残念ながら”令和元年”の書き初めは見られなそうですね。

平成の初めあるある:「あきすとぜねこ」を知っている

いつの年代も小学生は謎の遊びを生み出す天才です。

平成の初めの頃、あきすとぜねこという遊びがあったのを覚えていますか?

「あきすとぜねこ」は好きな同級生の名前を使ってあ=愛してる き=嫌い す=好き と=友達 ぜ=絶好 ね=熱愛(?) こ=恋人に当てはめ、相性を占う、いわゆる「相性占い」でした。

器用な女子が折り紙で作ったルーレットのようなものを使って「あきすとぜねこ」を占える”自動あきすとぜねこツール”が出回りました。

同じような名前を使った相性占いに王様・姫様・豚・乞食(※地域によって多少違いあり)がありましたが、これも同じように名前の文字数を当てはめ、「や〜い!お前コジキ〜」とディスりあうというしょうもない言葉遊びでした。

平成の初めあるある:運動会の応援歌が「ちびまる子ちゃん」だった

平成の初めを小学校で過ごした年代の人たちにとっては、当時連載がスタートしたばかりの「ちびまる子ちゃん」や「ドラゴンボールZ」が記憶に新しいかと思います。

特にちびまる子ちゃんはブームがあり、今でもテーマソングとして現役のB.Bクイーンズ「踊るポンポコリン」はこの当時のヒットソングとなりました。

時代を一番反映するのは運動会で使われる”応援歌”。組の応援ソングを作った時にちびまる子ちゃんのテーマソング「踊るポンポコリン」を使ったりしませんでしたか?

TV番組からヒットとなったとんねるずの「ガラガラヘビがやってくる」や「♪チロリ〜ン 鼻から牛乳〜」のアノフレーズでお馴染みの嘉門かもん達夫の替え歌シリーズも空前のヒットとなりました。

おそらく小学生はいづれかのシングルCDを持っていたに違いありません。

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平成の初めあるある:嫌いな物を食べ終わるまで席を立ってはいけない

「残さず食べることが一人歩きして、昔は行き過ぎたこんな指導がありました。

それは食べるまで席を立ってはいけない!ということ。

つまり、嫌いな物を食べきるまで片付けてはいけないということ。モタモタしていると周りはさっさと掃除を初めてしまい、自分だけ放って置かれ給食を平らげるという惨めな醜態を晒すことになります。

周りはとっくに食器を片付けて掃除を始める中、自分だけスプーンの上の嫌いな物とにらめっこです。

嫌いな物と周りの雰囲気、二重の圧に苦しむことになります。

私も嫌いなグリンピースを食べられなかった時はこの”公開処刑”を泣きながら耐え、なんとかグリンピースを口に放り込み無事クリアしました(笑)

ちなみに今学校の現場ではそんなことは一切ありませんのでご安心を。

今学校の方針では、嫌いなものはあらかじめ取り除いて食べられる物だけを配膳してくれるそうです。

昔は給食で食物アレルギーによる死亡事故も多かったので当然っちゃ当然の措置ですが、強要が当たり前だったなんてにわかに信じられませんよね。

平成の初めあるある:土曜日が半日授業だった

今となっては学校があるのは月曜日から金曜日までの週5日間ですが、平成の初め頃までは週6日制だったと聞いたら平成生まれの人は驚くでしょうか。

月曜日から金曜日までは丸一日、土曜日は午前中だけ学校で授業を受けるというスタイルでした。

学校週5日制 - Wikipedia

平日と違って土曜日は放課後にたっぷりゆとりがあるので、学校で友達と遊ぶ約束ができるという利点があります。

教室で「今日何時に〇〇に集合ね!」と約束しあい、お昼ごはん(ラーメン)をサッと流し込んで遊びに行く。そんな平成の平凡な一日を思い出して切なさに胸が熱くなります…。

(我が家の土曜のお昼の定番メニューは「サッポロ一番塩らーめん」でした。)

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平成の初めあるある:学校で「さわやか3組」を見た

授業の一環として学校で「さわやか3組」を見た人は多いはず。

今となっては「♪サン サン サン さわやかさんくみ〜」のオープニングしか覚えていないのですが、「さわやか3組」はNHK教育(現・Eテレ)で平日の昼間に放送していた小学生向けの番組。

ドラマの内容は、とある学校の3組(3〜4年生)を舞台に、3組の子供たちが色んな出来事を経て成長していくという道徳エッセンスの内容でした。

「さわやか3組」を観た後にクラスで何をするかというと、ドラマの感想を出し合ったり、ドラマに出てきた〇〇さんはこうすれば良かったんじゃないか、いやああすれば良かったとか、内容についてのディスカッションをして発表したりする。

「さわやか3組」はいわば、道徳の教科書の内容がそのままドラマになった作品と言えるのかも。

同時期に中学生向けに作られて根強いファンがいる「中学生日記」の内容に比べると、あくまで子供向けでカラッとして健全なので内容が全然記憶に残っていないのが残念…。

平成の初めあるある:学校で行われる検査や注射が大きな試練だった

学校では授業以外にも体に関する様々な検査や予防接種を受ける機会がありました。

中でも学校で強制的に受ける予防接種は恐怖そのもの!

いつ保健室に呼び出されるか分からないので、突如としてやってくる”その時”に備えて児童は生きた心地がしないものです。

たいてい”その時”は授業中にやってきて、教室の外から先生がやってきて「では保健室に移動しましょう〜」なんて声がかかったら児童は心臓は飛び出しそうなくらい硬直していました。

↓今は廃止された検査はこんな感じ。

・各種予防接種など
・ギョウチュウ検査
・色弱検査
・座高の測定

昔は予防接種は学校でやるものという認識が強く、ツベルクリン検査(現在は廃止)なども学校で行われていました。

ギョウチュウ検査はうちの娘が小学2〜3年性ぐらいまでは行われており、少なくても数年前まで実施されていたようです。

ギョウチュウは人間の腸に住む寄生虫の一つで、衛生環境が悪かった戦前〜戦後にかけては保有している子供が多かったため実施されていたのですが、これだけ清潔な環境下で育児ができる日本ではもう検査の必要はなく、完全に過去の産物となりました。

色弱(色盲)が分かる「色弱検査」の廃止はセンセーショナルで賛否両論が巻き起こり、今でも討論が続いていますね。

個人的には色弱って早いうちにわかった方がいいような気もするんだけどな〜。

つい数年前には座った時の頭からお尻までの高さ(座高)を測る「座高検査」も廃止されました。理由は「計測したところで何の意味がなかったから」だそうで。意味ないのか〜い!とツッコミどころ満載です。

平成の初めあるある:遊具がとにかくデンジャラスだった

遊具がとにかくデンジャラスだった

遊びが仕事の子供にとってはパラダイスである学校の校庭や公園。子供たちをワクワクさせる公園の華と言うべき遊具は絶好の遊び場でした。

平成の初めぐらいまではまだまだ危険な遊具も多くあって、それらを10歳アンダーの子供が扱うわけですから相当ヤバい。

遊具に挟まれたりコケたり毎日がケガのオンパレードでした。(笑)

高学年の体格の良い兄ちゃんが漕ぐ”シーソー(バイキング)”は乗る者に容赦なく襲いかかります。勢いよく地面スレスレをかすめるように前後し、うっかり手を離そうものならバランス崩して地面に叩きつけられ流血。

漕ぐ側もうっかり地面に足を滑らせようものなら…そこへシーソーがやって来て…痛い!!

くるくると回るユルそうな遊具”地球儀”は一見するとユルそうですが、一旦早く回りだすと狂犬のように誰も止められません。(笑)

強力な遠心力アクチュエーターを持つ上級生の男子が回すと地球儀は”強力な洗濯機”となり、しっかり掴んで体を保持しておかないといとも簡単に遠心力で振り回され四方八方に飛ばされる飛ばされる。

今となってはほとんど見かけなくなった”ジャングルジム”も健在。高さも幅もあり、登れるものなら登ってみろと言わんばかりに要塞のように子供を待ち構えていました。

転んでは痛い痛い〜!と泣きながら絆創膏を貼って、それでも楽しくてみんな集まってくる、そんな感じで子供たちは自然と遊具を猛獣を扱うように慣らし、遊具とは生傷を作りながら遊ぶものだと自覚していったんでしょうね。

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さよなら平成。青春を築いた一時代が終わる

平成31年も残りわずか。

千年以上の日本史の中のたった30年間の”平成時代”で軽んじられてしまうところですが、十分激動の時代だったんじゃないかと思います。

まあ、どうしても自分史と重ねてしまうんですけね〜。

これ以上はないほどきめ細やかなところまで配慮された生活を送ることができ、身の回りには有り余るほどのテクノロジーに囲まれて便利さを享受している日本ですが、今だ日本の労働環境が先進国のそれとはほど遠く一向に改善されていなかったり、

また生活の人々の、特に若い人たちの心の余裕のなさには反映されていると思います。

これからさらに進歩を続けていくのだと思うと気が遠くなりそうです。

令和時代は物質的な豊かさよりも”心の豊かさ”へ関心が向く時代になるのかも知れません。そうなってくれると嬉しいな。

ではでは。