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テキトーでも人生うまくいく!

【保存版】死別の悲しみにいた私を救い出し癒してくれた本を挙げていく


グリーフケア・死別
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こんにちは。BlissBliss⋆*@テキトーでもうまくいくです。

昨年5月に最愛の母を亡くして早一年が経ち、当初は何をする気にもならないほど落ち込んでいた私。

月日が慌ただしく過ぎ去っていくうちに、哀しみも徐々に癒えていき今ではすっかり元の自分に戻った気分です。

「明けない夜はない。止まない雨はない」と言われるように、もうこのままずっと続くのではないかと思うような喪失感も、その悲しみを感じきることで自然と前を向けるようになることを痛感しています。

ちなみに母を亡くしたことは周りの友達に伝えていません。

誰でもそうなんじゃないかと思うんですけど、身内の死は周りの人に言いたくないものなんじゃないでしょうか。

詮索されたり「それは辛いね・・」と同情をされたりするのが嫌なのもあります。

早い話が、身内を亡くしたことのある人じゃなきゃこの気持ちは分からないからと、ちょっとイジけております。

受け止めようのない悲しみと、何やら気持ちが入り混じった複雑な気持ちは「時間」によって癒されていくのを待つしかなさそうです。

父や母・兄弟、夫や妻、あるいは親友などの最愛の人を亡くしたばかりの人にとって、心の拠りどころになり、悲しみをスポンジのように吸ってくれて、明日からちゃんと生きていくための希望を与えてくれる─この一年、そんな心の支えになってくれる本がないかと探しまくり、何冊か気に入った本がありましたのでご紹介します。

ちゃんとお別れをしたい人のための3冊

『お別れの作法』矢作直樹

こんな気持ちの人に
・これから看取る人がいる
・余命を宣告されている

東大大学院の医学研究科教授でありながら集中治療部部長でも活躍されている矢作直樹氏による「お別れ」について書かれた本です。

矢作氏はセンセーショナルなタイトルの著書『人は死なない』でその名を知られることになりました。

科学の先端にいるお医者さんが対極である「臨死体験」や「魂」などについて肯定的に語っているので、一度読んだことある人は印象に残っているかもしれません。

救命救急にいる立場上たくさんの看取りを経験するそうで、その経験に裏付けされた「逝く人」と「看取る人」双方の視点から悔いのない最期のむかえ方について語ります。

どう逝くか最期の意思確認「リビング・ウィル」

これから逝く人がどういう治療をしたいのか、どういう最期をむかえたいのかについてきっちり話し合い、意思確認をする(リビング・ウィル)ことが大切だと伝えます。

うちの場合ですが、たまたま治療について話し合っていたおかげで、惑うことなく母の最期の望みを叶えてあげることができたと思っています。

↓母と一緒にこんな取り決めを確認しました。

・可能性のある限り治療を続けていく
・心臓が止まっても延命はしない
・治療法は子ども(長男)に委ねる

「心臓が止まっても延命はしない」つまり延命するかしないかは本人の意思を尊重したいと感じたので早めに確認しておきました。

ただ、緩和ケアについては早めに移してあげればよかったかな?と今になって思っています。

闘病中で本人も周囲も最後まで諦めたくない気持ちが強いと、緩和ケアに移るタイミングであっても気持ちがついて行かずなかなか踏ん切りがつかないもので、なおのこと、この辺はよく話し合った方が良いです。

エンディング・ノートは書いておこう

「エンディング・ノート」の存在を知っていますか?

エンディング・ノートとは、自分の亡き後に子どもに何を残したいのか、自分はどんな最期を迎えたいのか、さらには銀行口座のことなど、伝えておきたいことを生前に整理してノートに書き記しておくこと。

イチから書かなくても、ガイドにしたがって埋めていくだけで完成するエンディング・ノートは本屋でもよく見かけるようになりましたね。

正式な遺言書としては使えませんが、遺言書はなくともエンディング・ノートだけは母が元気なうちに書いてもらえば良かった〜!と、今になって後悔しています。

特に困ったのは銀行などの資産のことでした。

自営業を営んでいた我が家は母が経理管理をしていたこともあり、どこの口座にどんな定期預金があるのか、何の経費が引き落とされているのか伝えられないままだったので、母亡き後、残された通帳の束を前にぼうぜん。

家族で手分けして一つ一つ整理していったおかげでお金の流れを把握することができましたが、まあ、こんなこともあります…。

本人が家族に伝えたいと思った時には体が衰えて伝える時間がなく、家族に何も残さないまま亡くなる、というケースあります。他言にもれずうちのことです。

「生前に書くなんて縁起でもない!」と元気なうちにエンディング・ノートを書かせるのは抵抗があるかもしれませんが、後々困るのは自分たちということを忘れてはいけません。困ってあたふたしている遺族の様子を知ったら故人も浮ばれないですよね。

ちょっと早いかな?と思っても親が60代に差しかかる頃には遺言書と合わせてエンディング・ノートも書いてもらうと万が一の時でも慌てずすむと思います。

『永遠の別れ』エリザベス・キューブラー・ロス著

こんな気持ちの人に
・毎日辛くてたまらない
・喪失感にさいなまれて何をする気にもならない
・亡き人がいなくなったことがまだ信じられない

著者のエリザベス・キューブラー・ロス氏ですが、今では当たり前になった緩和ケアなどの「終末期医療」を創設者であり、その経験から愛する人の死を受け入れていく5ステップの過程「喪失の5段階説」を提唱した人です。

本書では身近な人の喪失経験をしたそれぞれのケースを振り返り、丁寧な解説とともに悲しみの渦中にある人に寄り添った内容となっています。

ロス氏の提唱する「喪失の5段階」とは何でしょうか。

簡単にまとめるとこんな感じで「身近な人の死」というショックの直後からその事実を受け入れていくまでの過程を5段階にあらわしたもの。

喪失の5段階説
①否認
 ショック状態/親しい人の死を認められない段階
②怒り
 亡き人を救えなかったことに対する怒りなどに翻弄される段階
③取引
 「もし…だったら」と過去を振り返り、亡き人がいた頃を嘆く段階
④抑うつ
 喪失に対する抑うつ・深い悲しみの渦中にある段階
⑤受容
 現実を受け入れ、新たな生活を認めて一歩踏み出す段階
エリザベス・キューブラー・ロス「喪失の5段階説」を私が独自にまとめました。

たとえ今は喪失感から何も手につかない状態であったとしても、いつか必ず次のステップに移り、最終的には⑤受容まで到達するとしています。

特に④抑うつ状態にあるときは、この辛く苦しい気持ちが死ぬまで続くような気がしてしまうものですが、

「悲しみ」には喪失感を癒し、あなた自身を癒す作用があるとして、どんなに苦しい時期も時間の経過とともに必ず終焉をむかえ、同時に新たな生活を歩む力が出てくるのだとロス氏は伝えています。

だから十分悲しみに浸りましょう。

そしてもうこれ以上泣けないと思うくらいまで泣き通すこと。そうしないと前に進めませんから。

「たられば」に縛られた私の場合

ガンなどの病気で愛する人を亡くした場合、医療に対しての悔しさや怒り・失望などの黒い感情にどう向き合っていけばいいのか、この辺のアドバイスは本当に参考になりました。

私は母を闘病の末、ある進行性の病気で亡くしています。

母の死の直後は大きな喪失感で圧倒されて「たられば」でしか物を考えられなくなっちゃったんですよね。

病気の治療中は選択の連続で「この新薬を使いますか?」「どうしますか?」と常に選択に迫られる機会が多いんですよね。

結果が良くなかった場合、必然的にあの時こうだったらああだったらと選んだ選択に「たられば」で考えやすくなる気がします。

後悔や怒りは芋づる状に出てくるんです。こんな風に。↓

もっと早くセカンドオピニオンをしていれば…もっと早く転院していれば…
担当医にもっと強く進言していれば…
あの病院で良かったんだろうか?
あの主治医で良かったんだろうか?
そもそも母をむりやり検診に連れていけばこんなことに…
もっと話を聞いてあげれば良かった
ああすれば…こうすれば…

ね?後悔はキリがなく出てきます。

「たられば」を続けると生きる気力を失わせる悪い習慣だと実感したのである時からキッパリやめ、全てがベストだったのだと思うようにしました。

ロス氏はこう言います。

しかし治せる病気と治せない病気のあいだには質的な差があり、その現実を知ることが後悔の解毒剤になるのだ。ほとんどのばあい、べつの方法を選んでいれば事態の変化に影響は与えたかもしれないが、それで死が避けられたわけではないというのが真実であるといわなければならない。
第2章 悲しみの内側 より

遺族会などに参加をしよう

ロス氏は癒えない悲しみを分かち合う方法として、死別の遺族会などの支援グループなどへの参加を勧めています。

やっぱり何だかんだ言っても、同じ経験をした人じゃないと伝わらないことはあるし、事情を知らない友達に相談するのも気が引けちゃいます。

ネットで「〇〇 遺族会」とか「夫 死別 遺族会 東京」などで検索すると近くの遺族会や自助会などを知ることができます。

いざ自分が喪失経験をしてみると、いかに多くの遺族会があり、これだけ同じ立場で悲しみを乗り越えようしている人がいるのだと思うと感慨深いものがあります。

一人で辛さを抱え込んだりせず、同じ経験をした人たちと悲しみを共有することが立ち直るための大きな原動力になると思います。

病気にまつわることだと、医師などと連携して無料で相談できることもあるので、探してみてください。

『遺族外来 ─大切な人を失っても』大西秀樹

「遺族外来」なんて聞きなれない診察科ですが、正しくは「精神腫瘍科」として、がん患者やまたその家族の心のケアを目的とした診察科が埼玉医科大学国際医療センターに存在します。

「がん専門の精神科」と言ったら語弊ありますかね…

幼い娘さんを亡くし「天国の娘が寒くないだろうか」と心配して外来を訪れたお母さんに湯たんぽをすすめる話、夫と娘の死という二重の不幸に見舞われながらも少しずつ立ち直っていく女性、

白血病の治療中に起きた脳出血で意識不明のまま15歳でこの世を去った息子・涼太くん。通うはずだった中学校の卒業式で、卒業できなかった涼太くんのために先生が取ったある優しさの話…

本書では遺族外来の診察に訪れる患者や遺族たちのさまざまな背景をもとに、著者の大西先生が悲しみに寄り添うことで昇華していく様子が描かれています。

遺族の心をないがしろにする無神経な人たち

「死別は人生で一番の悲しみ」と話す大西先生。

その大きな悲しみの渦中にいるとき、一見同情しているように見えて実は心を逆撫でする言葉こそが遺族を傷つけると警鐘を鳴らします。

↓遺族に言ってはいけない言葉↓
「がんばってね」「あなたがしっかりしないとダメ」
「あなたより大変な人はいるのよ」
「ねえねえ、死因は何だったの?」
「あなたは子どもが大きいのだからまだマシ」…

それらはかける言葉がなく、なんとか元気づけようととっさに口から出た言葉であり悪意はないこと。

ただ話を聞いてあげること。

命日頃になると落ち込む「記念日反応」

お正月、桜の咲く頃、青空、頬に当たる風… これらの一見何でもない出来事が亡くした人を思い出させる”記念”となってしまう。

遺族がなくなった人のことを思い出す状況のことを「記念日反応」と言うんだそうです。

「去年のお正月は一緒だったのに」
「去年、桜が咲いていた時には元気だったのに」
「夫ががん告知を受けた時の青空と同じです」
「頬に当たる風で看病中のことを思い出してしまいました」
このように亡くなった人と関連する事柄も悲しみを引き起こす”記念”となってしまいます。
特に私たちに思い出深い情景であるお正月や桜などは記念になりやすいようです。
2 死別に伴う心と身体、そして社会的な問題より

お子さんを亡くした親御さんが、子どもが大好きだったクリスマスやお正月の頃に思い出したり、春の入学・卒業シーズンが来る頃に辛くなってしまう心の変化もこの記念日反応の一つなんだそう。

死別をした人との思い出を連想させるすべてがトリガーとなってしまうんですよね。

先月母とお別れをした日も、朝からスカッと晴れて五月のそよ風が心地よい快晴の日でした。

これからも青々とした木々を見るたび、母との別れを思い出すんだろうな〜…と複雑な心境にいた私は、来年の五月なんて来てほしくない…!と心から思いましたよね。

その物悲しい気持ちの正体は「記念日反応」という死別した人には誰でも訪れる心境なんだ、そう思ったら来年の同じ時期が来ても乗り越えられそうな気がします。

一人悩んでいたら「遺族外来」に行ってみよう

2020年現在、大西先生は埼玉県日高市にある埼玉医科大学・国際医療センター内ので遺族外来の診察を行っていらっしゃいます。

全国から遺族の方が診察に来られるそうで、

ちなみにこの病院はうちの母が他界する直前までお世話になっていた病院なのですが、精神腫瘍科や遺族外来があるとは知りませんでした💧 もっと早く知りたかった💧

緑豊かな山あいにある病院なのでとにかく交通が不便。最寄りの駅からはバスかタクシーを使ってください。出来れば車で行くのがベストですね。

最寄りの「JR高麗川駅」から国際医療センターを経由するバスが出ていますが、高麗川駅の電車の本数も少ないので注意。事前に時間を調べてから行ってくださいね。

亡き人が”あの世”で救われて欲しいと願う人のための4冊

臨死体験

さてここからは、少しスピリチュアルなお話を混ぜた本の紹介です。

↓ここからはこの考え方の人にはオススメできません。

・人は死んだら無になるだけだと信じている人
・魂とか不思議な力などのオカルトは一切信じない人
・目に見えるものしか信じないし信じたくない人

「人は死んだら”無”になるだけだ」と信じているし、その考え方はこれからも変わることはないと思っている人にはここからの内容は読んでもタメにならないです(笑)

もちろん、その考え方を大切にする人を否定しているわけではありません。

「人は死んだらそこまで」と信じている人と「天国へ行った亡き人の冥福を祈りたい」と信じている人とでは悲しみの種類が違うので、これからの本は参考にならないと言っているのです。

…というわけで。

↓こんな考え方の人はきっと癒されると思います。

・少〜しだけ”あの世”の存在を信じている
・科学では説明できない不思議な力などはあると思う
・神社やお寺、教会などは嫌いではない
・お盆にはお墓や仏壇に手を合わせたりする
・亡き人が天国でも幸せでいて欲しいと願いたい

『生きがいの創造』飯田史彦

こんな気持ちの人に
・人は死ぬとどこへ行くのだろう
・亡き人はどこへ行ってしまったのだろう
・「生まれ変わり」はあると思うし、そう信じたい。

『生きがいの想像』は自分がこの世にいる意味を実感することで、残された人もそうでない人にも生きる底力が湧いてくる本だと思っています。

著者の飯田氏は大学で教鞭を執るかたわら、長年にわたり「生まれ変わり」「臨死体験」の研究を盛んにされている方のようです。(※執筆時)

初版が1991年とだいぶ古い本ですが、普遍的な内容を扱っているのせいか全然色褪せませんね。

飯田氏の「生きがい〜」シリーズはたくさん出ていますが、この「生きがいの創造」が個人的ベスト。一番先に読むことをオススメします。

退行催眠によって分かる「過去生」の自分の姿

国内外を問わず行われた「退行催眠」によって、被験者たちが語り出した前世(過去生)や天国(中間生)の存在、さらには自分の死後、魂を天国へ導いてくれた”光の存在”について、たくさんのエピソードとともに”あの世”について考察しています。

と言っても飯田氏はスピリチュアル先生でもなんとか教祖でも何でもない一般人です。

「お盆にお墓参りをしてクリスマスを祝い、お正月には初詣に行くごく普通の日本人」と本人がおっしゃる通り、特定の思想や信仰があるわけでもありません。

催眠療法を受ける被験者たちは生まれた国も育ちもバラバラで、中には特定の信仰がある人もいますが、社会生活を営むごくフツーの一般人です。

そのごく一般人が催眠によって、生き生きと生活していた過去生の頃の自分を語る様子などは、どれも真実味を帯びておりグイグイ引き込まれます。

本書に紹介されている数々の研究は、人類最大のナゾである「人は死ぬとどこへ行くのか」という永遠の謎が徐々に明かされてきていることを示しています。

先述の通り、飯田氏はあくまで中立な立場で研究しており、宗教や霊感商法などの誘導にならないよう言動には十分気をつけているとのこと。

本書を読んでも何かの宗教に洗脳されたりということは一切ありませんのでご安心を。

『プルーフ・オブ・ヘブン』エベン・アレグザンダー著

ハーバード・メディカル・スクールの脳神経外科の権威である、エベン・アレグザンダー氏が、自身の臨死体験によって人生観を180度変えるに至った『天国の証明』とは─。

こんな気持ちの人に
・人は死ぬとどこへ行くのだろうと考える
・臨死体験の自伝が読みたい
・科学者の視点からあの世はどう見えるのか知りたい

著者のエベン・アレグザンダー氏は肩書きもさることながら、何から何までスゴいエリートのようです。

名門ハーバード・メディカル・スクールでは脳神経外科の権威、ゴリゴリの研究畑で論文書きまくっている科学者であり、医師として医学研究の最前線にたち医療メーカーの商品開発にも加わり、さらに臨床経験もある…

こういう人をスーパーマンと呼ばずして何と呼ぶんでしょうか…。

自身が奇跡とも言われる臨死体験をするまでは、オカルトの類やスピリチュアルなんて一切信じない完全否定派だったそうです。まあ経歴から見るに当たり前ですよね。

理知的で論理派、感情的な人間ではなかったというぐらいですから。

エリート街道を突き進んでいたアレグザンダー氏にある日突然、悲劇が襲います。

数万人に一人と言われるある感染症によって脳が侵されたことで、意識や感情などをつかさどる大脳が機能を停止し昏睡状態に陥ってしまいます。

天国で出会った美しい女性とは

ICUに搬送されたアレグザンダー氏は「生きているのが不思議なほど」と言われるほどいつ死んでもおかしくない重篤な状態が続きます。

ドロドロとした液体に包まれた長い闇の世界を抜け出し、美しい旋律とともに現れた回転する光に吸い込まれた先はまぶしく輝く夢のような別世界だった─ 

一進一退で一向に病状が良くならない昏睡状態の中、アレグザンダー氏は暗闇の中にいたと語ります。

息を飲むほど美しいであろう”天国の光景”は詳細に語られ、そのまばゆい光の国を飛びながら、美しい女性がそばにやってきました。(いわゆる日本人的な、三途の川を渡るとお花畑が広がっていた世界とは程遠いけど。)

「あなたは永遠に深く愛されています」
「恐れるようなことは何もありません」
「あなたのすることには、ひとつの間違いもありません」
それを聞き、たとえようのない安心感が嵐のように渦巻いて押し寄せてきた。生まれ落ちた時から取り組み続けていたよく分からないゲームのルールを、初めて教えてもらえたかのようだった。
7章 回転する光体の調べとゲートウェイの世界 より

臨死体験

のちに天国で見た「蝶の羽に乗った女性」の秘密が明かされるわけですが、これによってアレグザンダー氏が長年心の奥底にしまい込んできた心の傷が一気に解放されることになります。

ただただ、鳥肌が立ち無償の愛に思わず涙しました。

”低次元(現世)の世界から高次元(あの世)の世界は知ることも理解することもできない”

なぜ今まで自分がどれだけ知識を蓄えても、それを超えるレベルの存在に触れた今、人生が大きく変わったとアレグザンダー氏は締めくくります。

ちょと切なくなるオススメの本です。

『喜びから人生を生きる!臨死体験が教えてくれたこと』アニータ・ムアジャーニ

著者のアニータ氏は、末期癌で生死の境をさまよった時に臨死体験をして以降、身体中の癌が消えてしまったというにわかに信じがたい(!)神秘体験を持ちます。

タイトルでお気づきかと思いますが、癌に対してナントカ療法がオススメだとか、癌には〇〇ジュースが良いとか悪いとか、そういう癌に関する情報は一切出て来ません。

臨死体験によって得た”あの世=宇宙の仕組み”や”気づき”について、今でこそ「スピリチュアル」とくくられてしまうお話しですが、”あの世”から得たヒントを”この世(現生)”にどう生かして私たちは生きていくべきなのか、非常に分かりやすく丁寧に解説しています。

癌は進行して全身にレモン大ほどの腫瘍を作り、注射がさせないほど骨と皮だけになった身体、息も絶え絶えで胸水でいっぱいになった肺、骨と皮の上に広がる皮膚病… 

残り少ない命を支えているのは病院の生命維持モニターという状況で、アニータさんの”身体”の命の灯火は尽きようとしていました。

臨死体験

「そうだよ、アニータ。お前や家族のために、いつもここにいたんだよ」父は私にそう伝えました。
<中略>
彼らは、私が気づくずっと前からそばにいてくれ、病気の最中も見守ってくれたのだとわかりました。
<中略>
彼らはいつもそこにいて、私が気づいていないときでさえ、大きな愛で包んでくれたのです。
第7章 肉体を離れて より

自分が拡大して大きな愛で溢れたあの世の世界を知ってしまったアニータさんは、もうボロボロになって小さくなった自分の身体には戻りたくない、と一旦はあの世へ行く道を選びますが急に立ち止まります。

本質は愛だったのだ、本来の自分=つまり「愛」の状態でいれば自分も他人も癒せるとアニータさんは理解します。そこでもう一度現世に戻って、自分を批難したりせず、ただありのままの自分でいれば良いのだと思いを新たにするのです。

─父とソニが私にこう言っているのに気づきました。
「自分は本当は誰かという真実を知ったのだから、もう一度身体に戻って、今度は何も恐れずに思い切り生きなさい!」
第7章 肉体を離れて より

意識が戻った後、アニータさんは驚異的な回復を見せ無事退院。「末期癌が治った稀有な例」として世界の医学会から注目される存在になります。

・たとへ体はなくなっても人は死なない
・次元の違いで見えないだけで、亡き人はすぐそばであなたを常に見守っている
・あの世では過去、現在、未来などの時間は存在しない。
・「体のない世界」では他人も自分もいない。全ては一つである
・私たちの本質は「愛」である
・あなたが存在していることほど尊いものはない

『死は終わりではない』エリック・メドフス、エリーサ・メドフス

─やあ、僕はエリック、そうさ、死んだ人間だよ。─

表紙の衝撃なタイトルに惹かれて手にとって読んだ一冊でしたが、内容はその表紙の衝撃を軽く上回るもので、死者とのチャネリングによって書かれた本、いや死者と「一緒に」書いた本です。

つまり著者の一人、エリック・メドフスはすでにこの世を去った死者であり、現在も(?)この世にいません。

著者であるエリーサ・メドフス氏は米国で医師をするかたわら、自死をした息子エリック・メドフスと交信(チャネリング)をしながら、その様子を赤裸々にYouTubeやブログで配信しています。

本書は「アフターライフ(あの世)」にいる息子エリックと密に交信を取りながら書かれたいわば「あの世からの」本です。

2014年、20歳という若さで自らの命を絶ったエリックは自分の体から離れ、悲しみと絶望にくれる家族を横目に、自分の遺体が家族に発見され警察の目に晒される一部始終を見ていたり、あげく自分の葬儀(!)にちゃっかり参加したりと、わかに信じがたい行動をサラッと告白します。

自分の葬儀の直後、エリックはあの世の魂に導かれてあの世とこの世の壁を超える=「クロスオーバー(昇天?)」を果たし無事天国へと行ったしたエリックですが、これで終わりではなく、あっちに行ってからはさらにこちらの現世の世界とコンタクトを取って母親と再会するという奇跡を起こします。

あの世に行った魂は誰でもこの世と交信できるわけではなく、エリックのような新米を指導する立場の魂から、特別な許可をもらって交信をしていると言うこと。

この世と変わらない生活、それどころかあの世ですでに他界した有名人に会ったり彼女もできるという「リア充」っぷりに、あの世のイメージはガラガラ音を立てて崩れるのがわかります。

なぜ死んだことのない人間が人の死を「他界=この世を離れて別の世界へ行く」と言うのか、人は決して死ぬことはなく、肉体は終わっても魂はあの世に行くことを知っていた証明に他なりません。

YouTubeでライブされるあの世との交信

母のエリーサさんが主催するYouTubeチャンネル「Channeling Erik (チャネリング・エリック)」では、過去から今までのエリックとの交信の記録がおしみなく挙げられています。

と言ってもすでに肉体のないエリックは能力者(チャネラー)としか交信できないので、母エリーサさんはチャネラーと言う翻訳者を通して交信しています。

※英語なので日本語対応はしていないようです。↓ youtu.be

エリックはあの世で何をしているのか、肉体を離れてクロスオーバーする過程からの生の声はまるでラジオ番組のレギュラーパーソナリティのようで妙な説得力に引き込まれる。

新米エリックも”あの世歴”が長くなりあの世の暮らしが板についてきたのか、他界した海外のセレブや有名人とコンタクを取り、セレブがあの世でどんな暮らしをしているか、どんな心境にいるのかなどを赤裸々に伝えてくれています!

母親であるエリーサさんが「Hi!おはようエリック、調子はどう?」と言うと、エリックがふざけながら「Yo!ママ、愛してるぜ。元気だよ。今日のトピックは何にする?」と返すという、いつも親子の日常風で進んで行くのでチャネリングの物々しいイメージや神妙な雰囲気は一切なし。

エリックの姿こそ見えませんが時々ラジオにいたずらをしたり、エリックがボソッとふざけた声を入れてそれをリスナーだけに気づかせて遊んだりと、やりたい放題なのが妙なリアリティがあって目が離せない番組です。

今年1月に不慮の飛行機事故でこの世を去った名NBAプレーヤー、コービー・ブライアントと娘ジアナがあの世でどんな暮らしをしているかなど語った回は、え??ホント〜?とツッコミも入れたくなる場面もありますが、

まあ信じるか信じないかは話半分で聞いて、驚くべきはエリックと母親の交信がユル〜く続いていることであって、愛する人を亡くして悲しみの渦中にいる人や、人は死んだらそれまでだと信じ込まされてきた人にとっては、人生観変わるほどの救いになることは間違いなく、死別を経験した人にとってこれほどの救いになる本はないと思います。

『ダンナさまは幽霊』流光七奈、宮咲ひろ美

霊感占い師として活躍中の著者・流光七奈さんが、ダンナさまの死によってスタートした亡き夫の幽霊との同居生活を、地上での生活から成仏、天国での生活ぶりまでコミカルに描いています。

先述のエリック、エリーサさん親子の話よりだいぶ身近に感じるのは、流光七奈さんとダンナさまが日本人夫婦というのもありますが、馴染みの深い”四十九日”が出てきたり、仏教をイメージさせるようなあの世観があるからかもしれません。

8年という長い闘病生活の末、この世を去った著者のご主人・ハカセ。

悲嘆にくれる流光七奈さんのそばに「フツーに朝目が覚めたら体に戻れなくなっててさ〜」と突如現れたハカセの霊に戸惑いつつも、生前と変わらない共同生活が始まります。

あの世というベールに包まれた人類最大の秘密をあまりにもあっけらかんと語っているので、賛否両論あるとは思いますが、愛する伴侶を亡くした人、ペットロスに苦しむ人には前を向くきっかけになると思うので、ぜひ読んでいただきたいですね。

1巻から最近発売された4巻まであり、ハカセの死から共同生活まで、2巻では成仏からあの世の暮らしのこと、3巻では亡くなったペットやお墓のことについて触れ、

先に他界したハカセのお母さんが、生前の頃と変わらず流光七奈さんに口を出してくるスタンスには爆笑したし、同じく天国へ旅立った愛猫たちがウロチョロする場面もあり、「なんだあの世って現世とあまり変わらないじゃん」と微笑ましく思えて死別の悲しみもだいぶ癒えるはず。。

誰でもできる霊界通信?「線香電話」

線香電話
天国の人に想いを伝える「線香電話」はぜひ習慣にしたい

流光七奈さんが天国のハカセと連絡を取る手段として「線香電話」が出てくるのですが、これは誰でも天国にいる人へ想いを届けることができる簡単な方法として紹介されています。

それは、線香を立てながら天国にいる人のことを想い声に出して伝えるもの。線香の煙と一緒に声が天国に届くのだそう。

な〜んだ、いつも仏壇にお線香立てているけどと思いますが、流光七奈さんが伝えている「線香電話」は想うだけではなくちゃんと声に出すことが大事だと話します。

これは現世でも一緒ですが、声に出さないと天国の人に伝わらないと聞いてとても参考になったのでそれ以降仏壇ではちゃんと声を出しています。

声は必ず届いていると信じて、声に出すと故人とお話ししているようで思いのほかスッキリするものです。 習慣としてぜひ続けていきたいですね。

ほかにも天国の人と通信する方法が挙げられていますのでぜひ3巻読んでみて下さい。

ちょっとネタバレですが、「三年以内に天国へ行かないと自力で行かなくてはいけなくなる」という謎ルールがあるらしく、三年目間際でいそいそ天国へ帰るわけですが、

あの世では心に思ったことが即実現する世界であり、ハカセはあの世で理想の大きな家を建て、大好きな音楽製作をPCでしながら(この世の物は全部あるらしい)、コーヒーを淹れてお気に入りの窓辺でまったり過ごすという、物質世界に生きる私たちからすると夢のような生活ぶりにうらやましい〜と感じてしまう。不謹慎かもしれないけど。

天国で幸せに暮らしていると信じて心穏やかに過ごそう

先日あるTV番組で、”百獣の王”としておなじみの肉体派タレント・武井壮さんが出演されていて、病気のため24歳で夭折した兄・情さんについてのお話をされていました。

志半ばで闘病で夢を断たれ若くして亡くなった兄と、数々の陸上競技で成果を勝ち取り、前進する日々を送っていた自分を重ね合わせ、「自分だけ幸せになってもいいのか」と苦悶する日々を一年ほど送っていたと語ります。

先述の精神科医・エリザベス・キューブラー・ロス氏によると、亡くなった人と自分を置き換えて罪悪感を感じてしまう心理状態(=生存者の罪悪感)は遺族によくあることだそうで、武井さんもこの心境に葛藤して苦しんでいたのではないかと想像できます。

兄の死という大きな悲しみに悩んでいた武井さんに不思議なことが起こります。

ある晩のこと、寝床に突如として大きな窓が現れ、そこから亡くなったはずの兄がひょっこり現れたのです。

野球のユニフォームをまとった兄は生前と変わらない様子で武井さんに声をかけると、武井さんが元気がないことを心配して”あの世”から様子を見に来たと語ります。

さらに兄は「お前が俺のひつぎにユニフォームを入れてくれただろう?おかげでこっち(天国)で野球界の有名人と野球ができて楽しいよ!」と話すのです。

納棺する際に武井さんが棺に入れた、兄が好きだった野球のユニフォームやグローブなどがあの世で役にたっていると兄の口から知ることになりました。

天国の”窓”からひょっこり姿を出した兄の存在をにわかに信じられなかった武井さんですが、ユニフォームを着た兄が嬉しそうに語る姿を見て救われたと語ります。

ひとしきり話に花を咲かせた後、兄からの「頑張れ」とエールをもらい兄は去っていったそうです。

あの世の兄の”近況”と、頑張れよとエールまでもらった武井さんですが、このことがあってから兄への罪悪感や悲しみが吹っ切れ、以前と同じように前へ進むことができるようになったとのことです。

亡き人とお話ができるなんて何ともうらやましい!

私の母が亡くなった直後、たまたま観ていたTV番組で武井壮さんがこの話しをされていたので、

ふと、ああ天国の母から「心配しないでね」とのメッセージなのかな〜と思ったり。

武井壮さんのように亡き人と直に意思疎通がはかれるチャンスはめったにないでしょう。

でも全然大丈夫。

亡き人は天国の”窓”からいつもあなたを見守っているという証明であり、いつでも繋がっているのだと信じられるのです。

亡き人のことを気に病んだり心配しすぎると、亡き人も天国であなたのことが心配になりすぎて天国生活(?)の妨げになってしまうかも知れません。

だから亡き人のことを想って悲しむだけ悲しんだらあとはスッキリと立ち直ってしまうこと。それが唯一の供養であり、自分自身の救いであると思っています。

ではでは。