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一学年一クラスで育った私が戦慄したスクールカーストとクラス替えについて語る


こんにちは。Bliss(@Bliss_Blink)です。

現在は地元を離れましたが、田舎生まれ田舎育ちの私が今だに戦慄を覚えるフレーズがあります。

「スクールカースト」と「クラス替え」です。

これ小さい時からみんな当たり前に経験しているんですよね。

クラス替えという運任せルーレット

田舎育ちの私が街の高校に来て驚いたのがクラス替えという恐怖のルーレットが存在することでした。

私の育った環境は人数が少なすぎて一学年一クラスで足りてしまうため、必然的に幼稚園から小学中学と同じ顔ぶれという環境にいました。

一クラス20人もいかないまま、エスカレーター式に同じ顔ぶれのまま幼稚園から中学校卒業まで一緒に育つわけです。

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これってどういうことかと申しますと、人数が少なすぎてそもそもクラス替えなんて必要ないという環境に身を置くことになります。

ですから、高校で初めて「クラス替え」に直面するとき、その時初めてクラス内に「顔は見たことあるけどよく知らない同級生」や「見たこともない同級生」に直面することに。

初めてのクラス替えを経験した時の動揺っぷりは今でもよく覚えています。

一方、クラス替えはいい面も多いのは確か。

前のクラスでは辛い思いをしたとしても新年度の新しいクラスで心機一転友達を作り直すこともできますし、いじめっ子と物理的に離れることでいじめの解消にも繋がりますから。

だとしても、クラスの中にたまたま仲の良い友達が多く癖のある子がいなくて平和な「アタリ年」のクラスになったかと思いきや、

次の学年では仲良い友達が誰もおらず、クラスのメンツが皆嫌〜な奴ばかりという「ハズレ年」もあったりと毎年運任せのルーレットを経験しなくちゃいけないのは子供にとってはハードなもの。

一歩間違えると不登校に繋がったり、いじめに繋がったり、学級崩壊(!)へと繋がるのでクラスを決める先生たちの力量にかかっているのは酷かもしれません。

それをひっくるめて色々な友達と社会性を学んでいく場ではあるんですけどね。

聞くな!読め!暗黙の了解で成り立つ「スクールカースト」

そしてもうトラウマ級に私の中で苦い思い出になっているのが学校には必ず存在する「スクールカースト」でした。

「スクールカースト」という言葉自体割と最近聞かれるようになった言葉ですが、それ以前にはスクールカーストが存在しなかったわけではありません。

前述の通り、中学校まで一学年一クラスでそれも20人程度のクラスにいましたから人数的にグループが出来にくく、スクールカーストそのものが曖昧だったと言えます。

中学生までの学校は転校生を除いてクラスのほぼ全員が同じ顔ぶれということもあり、友達関係も固定せず割と流動的でした。

目立ちたがり屋のリア充タイプにスポーツ万能くん、大人しいけど勉強ができる子、おっとりさん・・

みんなそれぞれキャラが立っていて目立つ子とそうでない子はいましたがどちらが上か下はなかったように思います。

スクールカーストの底辺に来ちゃうような子、いわゆるオタクな子や大人しい子、おっとりした子なんかも人数が少ない分それなりに打ち解けて馴染んでいましたので、何でも受け入れてくれる土壌があるということは本当に恵まれれてたんでしょう。

そんなゆる〜い楽園で暮らして来た私も高校入学と同時に大人数のクラスへ放り込まれます。

(ちなみに「制服が可愛いから」とアホな理由で選んだ高校は地元から進学している同級生が一人もおらず、完全アウェーの中たった一人で入学するという、今じゃとても出来ない度胸で進学しました。)

持ち前の明るさと勢いで社会性ゼロのままでも何とか友達を作ってグループの中に入り込めた私ですが、ボロが出る時がやってきます。

入学当初はよそよそしかったクラスの雰囲気も、一学期を終える頃にはずいぶん打ち解けてきて、それなりに仲のいい同士で作られたグループができているもの。

イケてる子はいけてる子同士、オタクな子はオタク同士でグループが出来上がり、そのグループの間に見えない境界線が見えはじめるようになります。

その時グループ内で生まれるのがグループ内にいるグループにふさわしくない奴を追い出すこと。

グループ再編が始まり、グループから溢れるかわいそうな子が出てきます。

だいたい検討つくと思いますが、私のいたグループでは私にその矛先が向けられることとなりました・・。

もちろんそこは「女子」なので、気にくわない子に面と向かって出て行け!とは言いません。

じゃあどうやって追い出すのか。やり方はこう。

教科ごとに教室を移動する機会が多かったのですが、みんなでゾロゾロと移動する時に仲間たちは早足で行ってしまい自分だけ置いていかれたり、

みんなで放課後カラオケに行っていて自分だけ誘われてなかったり(!)

いわゆるじわじわとハブられるようになります。

こうして晴れて(?)入り込んだ7人組グループから追い出され、行き場を失った私は、どのグループにも入れずクラス内で孤立するといういわゆる「ぼっち」になってしまいました。

しかも社会性に乏しかった私は、なぜ自分が置いてけぼりを食らったのか、なぜ仲間はずれにされたのか、その原因すら分からないと言う無知ゆえに、イマイチ自分の立ち位置が把握できませんでした。(笑)

今となって考えてみれば、周りの同級生たちは小さいうちから大人数の中でクラス替えだのグループだのを経験している百戦錬磨の猛者ばかり。

自分がどこのグループに入れるかをすぐに嗅ぎ分け、合わない子はそれとなくスルーして、自分に見合ったグループに入り込むことぐらい朝飯前であって、要するに慣れているんですよね。

それは時間割通りに教科書を用意することや、チャイムがなる前に席につくこと、それと同じぐらい「習慣」として身についているんです。

キツ〜イ洗礼は高校2年にクラス替えがありクラスが入れ替わるまで続きましたが、今となってはいい勉強になったしここで基本的な社会性や空気読み力が身についたのは確かです。

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クラス替えもスクールカーストも集団だから起こる問題

日本の学校教育では、子供のうちに色々な友達とぶつかり合って切磋琢磨していくことで社会性や自主性を身につけてほしいという意図があります。

子供が生まれ親の立場になって子供を学校に通わせる立場になったことでヒシヒシと伝わってきました。

もう嫌というほど(笑)

嫌いな人を作っちゃいけないよ、みんな仲良くやろう、一人行動はダメだよ輪の中に入ろう、輪の中に入れてあげよう・・と毎日のように言われます。

よく槍玉にあがる「みんなで仲良く教育」ですね。

個性丸出しでデコボコしていた幼児たちも小学6年になるうちにはデコボコが取れてみんなツルンと丸くなってくることで実感します。

少なくとも日本の公立の学校教育を受けてきたフツーの日本人ならこの「みんなで仲良く教育」を受けて育ってきたはずです。

学校には「仲良く 元気に たくましく」みたいなスローガンがあって。

一見良さそうですが、個性だとか扱いにくいものは良しとしない風潮が根強いので、トンガっている子は先生から指導という名のもと叱られて扱いやすく矯正されてしまうという悲しい現状があります。

例に漏れず、うちの子は個性強かったのか集団から早くも溢れてしまいました。

最初はどうしたものかと悩み子供と衝突を繰り返し、なんとかクラス集団に馴染んでもらおうと担任や学校のスクールカウンセラーと連携して試行錯誤したものの徒労に終わり、

ああ、この子はこういう個性なんだと受け入れて認めたら途端に娘が元気になりました。

「集団コワヒ・・」なのでクラスには入れませんが、スクールカウンセラーの協力もあり、別室登校&教育センター登校できています。

やっぱり日本は集団(=和)を尊重するベースがあるので、あと数十年はこの考え方は変わらないと思います。

学校に行かない「不登校児童」の数は年々増え続けているそうですが、50年前と一緒の教育を惰性でやっているだけですから、そろそろ学校のあり方も変革の時期にきているのではないかと。

30~40人がクラスに入って一斉に同じことをするのも限界がきているはずです。

まずこのクラス集団でつまづくと徹底的に叩かれて自信を失いその後の人生にも暗い影を残してしまうから。

アメリカみたいに学校へ行かず自宅での学習を認めている「ホームスクール」が実現すればいいのにとは思います。

体育が嫌いな子と体育が好きな子がいるように、集団に馴染みやすい子と集団が苦手な子がいるし、友達と遊ぶのが好きな子もいれば一人で遊ぶのが好きな子もいる。

でも日本ではなぜか「体育が嫌いです」と言ってもなんとも思われないのに「集団が苦手です」と言うとそれは個性の範囲を出て欠点になるんですよね。

おかしいですよね。

ではでは。