ぼんやり木曜日。
関東圏では聞き慣れない言葉ですが
関西圏では「いいかっこしい」という言葉があるようです。
こんにちは。Bliss(@Bliss_Blink)です。
今年は「いいかっこしい」から卒業しよう
誰でも自分を良く見せようとする。
いい人に見られたい。お金もってそうと思われたい。
友達多いと思われたい。仕事できると思われたい。
マジメそうと思われたい。
・・・・
そんな「よく見られたい」願望は私たちの人格の一部として根強く
根を張っているため、
やめようと思ってもなかなか捨て去る事が出来ません。
私たちは
コンプレックスが周りに知られたらどうにかなる、と一方的に怖くなるので
その裏返しとして「いいかっこしい」をしてしまいます。
「実は貧乏だと知られたら周りから仲間はずれにされるッ!」
「実はぼっちだと知られたら恥ずかしくて死ねるッ!」
「陰キャな性格を知られたらもう生きていけない!」
ところが自分がコンプレックスだとひた隠していることは
他人から見るとそれが??というほどそうでもなかったりします。
コンプレックスなんてさらけ出しちゃってハハハと笑っているぐらいの方が、周りからの評判が上がったりするのですから
まさにこの世はパラドックスだな〜と思います。
嘘だと思ってたらコンプレックスをバラすといいです。
「へ〜そうなんだ(棒読み)」ぐらいのドライな反応が返ってくるはずですから。
あれ?と肩すかしをくらったら笑えるはずです。
<h3コンプレックス崩壊させてしまえ
実はかくいうBlissもコンプレックスの塊でした。
多感な時期の一番大きなコンプレックスは
「田舎者」であることでした。
山の小さな学校で育ったこと、
都市部の高校から都内の専門学校に通うころには
コンプレックスは雪だるまのように膨れ上がっていました。↓
「山奥の○○市?プークスクス!!」
大学の友達から「村長」というあだ名をつけられた
同郷のクラスメイトのことを思い出しては震え上がり、
ぜったい周りのオシャレなクラスメイトには言うまいと誓ったものです。
ところがひょんなことで周りにバレる時が来ます。
コンプレックスはこっそりバレている
周りの反応は意外にも好意的なものでした。
「田舎って山や川があっていいな!」
都内の専門学校に通っていた頃は上京してきた
地方出身の友達も多く、
私の方が田舎だ、いや俺の実家メッチャやばいねん、
いつのまにか田舎あるあるの雰囲気になり
あれほど大事に守ってきたコンプレックスが
粉々に崩れていくのを感じ拍子抜けしたほどです。
コンプレックスなんて簡単なことで周囲にバレるし、
そんな爆弾を抱え込んでいても仕方ありません。
どんなに神妙な顔をしてコンプレックスを離したところで
取って喰われるわけでもない心配ありません。
大人の世界は優しいです。
まあ、今となってはド田舎育ちであることも
シングルマザーであることも
ある意味マイノリティな生き方としてアリだと思うし、
何よりマイノリティなことこそネタとしてオイシイので
紆余曲折してきて良かったと思っています。
コンプレックスこそオイシイ
成功者として数々の大規模なセミナーをされている、作家の本田健さんが言っていたことで、
「才能のかけ算」があります。
人それぞれには違った個性があり、さらにその人ならではの性格がある、さらにその生き方がある。
それをかけ算するとその人オリジナルのセルフブランディングができるというのです。
才能のかけ算をすると十人十色の多様な才能が生まれるということになります。
同時に本田健さんは「才能のない人などいない」と言い切る理由はここにあります。
才能や個性をかけ算してみればその人オリジナルの何かが生まれ、
才能のかけ算でうまく生かしていけばそれで食べていく事ができる時代に
到達しているのかもしれません。
結論:いいかっこしいはやめる
いつも読んで下さってありがとうございます。