テキトーエレガンス

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【影響を受けた人】自分は自分。自分を偽るのをやめた女性2人


 

こんにちは。Blissです。

 

良いな、この人のようになりたい、

こんな生き方って参考になるな、

そんなロールモデルを置くと、自分の生き方に良い刺激を得られていいもんです。

 

メディアなどで知り、すごく感銘を受けたと同時に、うおーすげーこんな人になりたいと印象に残った人が2人いまして。

自分の備忘録がてら、紹介したいと思う。

 

 

「女性」になったパパ・今西千尋さんのはなし。

 

 

パパがママになった、と聞いてまずどんなイメージが思い浮かんだだろうか。

自分の父親がある日、女性になりたいと言いだしたら・・。

 

 

去年、偶然見たYoutubeで存在を知り、すごいササッた女性がいる。

京都市在住の今西千尋(ちひろ)さんだ。

 

千尋さんは元は男性であり、地元鉄工所のご長男・今西文彦さんとして生を受けた。

大学卒業後、友人の紹介で知り合った妻の博子さんと結婚。家業を継いで2人の子供にも恵まれて何不自由ない生活を送っていたが、家族も知らない、ずっと心に秘めていた秘密があった。

それは本来の姿=女性として生きて行きたいという願い。

家庭を持ったとしてもそれは変わらなかった。

 

千尋さんは幼少期から自分の心と体の不一致を感じており、家庭を持ってからはより一層男性としての自分への違和感が強くなることで苦難の時期を過ごしたそうだ。

 

ある時から、女性の自分への気持ちを抑えられず、家族に内緒で女性の下着をつけたことが妻の博子さんに発覚。

病院で正式に「性同一性障害」と診断されてからは、今までの抑圧を解き放つかのように、本来の自分=女性へのチェンジを叶えていく。

しだいに短かった髪を伸ばし、女性物の服を身につけ始めることで本来の自分の姿に戻っていったが、その行為は同時に、妻や子供達との間に亀裂が生まれてしまう諸刃の刃でもある。

 

不安定な状態はある時、決定的な形で終わりを告げようとしていた。

深夜3時の鉄工所の工場で一人、静かに立ちすくむ千尋さんの姿があった。

もう全てに疲れた─。垂れ下がったロープに首をかけようとしたその時、千尋さんの携帯電話が鳴ったという。

千尋さんを献身に支えてきた妻・博子さんからの電話だった。

 

↓特集で取り上げられているのでぜひぜひ。↓

 

 

 

 

何がすごいかって、お子さんたちも一緒に家族が一丸となって千尋さんを理解しようと積極的に千尋さんと関わっていることだろう。

 

過去にはもちろん家族の危機はあり、当たり前だが博子さんと離婚もしている。

そのあと千尋さんは別居して生活を別にしつつも家族と関わっていたし、戸籍上は養女として迎え入れられた今も、今西家のパパ?ママ?として家族とともにある。

 

TVで大々的に取り上げられたあと、博子さんは言葉がうまく喋られなくなる(失語症?)という体調不良から一時入院するなんて事もあったようだ。

脚光を浴びる裏には、奥様・博子さんの葛藤もそりゃ物凄かっただろうし、いや、今だって少なからずあるだろうし、

「LGBTのパパを理解して乗り越えたすごい家族」なんてヒーロー目線で今西さん家族を見るのはやめるべきだろう。

今も乗り越える途中なのだと思うね。

 

 

千尋さん、和装をお召しになっているシーンが多いんだけど、すんごいお似合いで綺麗なんですよこれが!!

メイクするシーンもあるんですけど、目が醒めるようなマゼンタピンクが本当にお似合いで、「ブルベ冬」なのかな〜と思ったり。

もし京都でこんな美しいマダムを見たら思わず振り返っちゃいそうです。

 

 

人生後半から人生を一転させて大成功した65歳の女性起業家

 

どのネット記事だったかは失念!

ネットで見た、ある65歳の女性起業家の記事なのだけど、この方は子育てを終える頃、それまでの人生を逆転させて夢を実現している。

↓経緯はこんな感じだった。

 

45歳でモラハラ旦那と離婚。

その後猛勉強の末大学へ入り、英語を勉強したのち単身アメリカへ渡る。アメリカでケーキ製菓技術を学んだ後、NYでお店をオープン。日本でも店舗を構えるまでに成長させる。

そして65歳で歳下のウクライナ人の男性と再婚。お互いにそれぞれ子どもがいるが、二人の結婚に前向きなのだとか。現在もNYを拠点に幸せに暮らしている。

 

 

まるでドラマである。

 

しかもこの方、前の旦那さんと離婚するまで働いたことないのだそうだ。

 

庶民層出身の私には、え?そんな人いるの!?と疑っちゃうが、昭和中頃まで裕福なお家柄の子女は働いたことがないままお嫁に行くのが一般的だったと聞く。

 

離婚時は45歳、猛勉強の期間も含めると大学入学まで1〜2年かけただろうか。そこから大学行っちゃうって凄い胆力である。

 

北陸地方の、どちらかと言えば閉鎖的な慣習が残る街で生まれ育ち、そこでお堅い職に就いていた前夫と結婚。専業主婦として長年子育てをしてきた。

 

私も田舎生まれなので分かるのだが、田舎の奥さんの傾向として、

家族を優先して嫁ぎ先への奉仕を求められる生き方を求められるのが常である。

それゆえ、前時代的なしきたりを乗り越えて新しいことを始めようと動き出す時はさぞ大変だったろうと察する。

 

この方も、夫の三歩後ろを下がって尽くすような、控えめで堅実な奥様の姿がある。

お堅い職業につくご主人となればなおのこと、良妻賢母を求められ、生涯を嫁ぎ先や夫に尽くす ─令和に生きる若い女子からすれば信じられない世界に映るだろう。

 

そこから勉強して海外に行っちゃうって発想がトンガっている。トンガリまくっている。運転免許を取った次の日に東京から九州まで車で行っちゃうような勢いの良さ。

これは40数年の抑圧された人生の反動からくるのか、持ち前の度胸からくるのかは分からないが、成功する人はこのくらいぶっ飛んでいるって証明か。

 

 

とはいえ、ちょっとだけイジワルな見方をしちゃえば、中年になってから大学に入り直したりと色々なことにチャレンジできちゃうのは、

元夫や実家の金銭的なバックアップありきで、つまり裕福だったからこそとは察する。

 

しかし、それを抜きにしても『田舎の平凡な主婦』(失礼ながらあえてこう呼ばしていただく)には、なかなかできない偉業をやって遂げている。

 

 

夕方になると目が霞んで字が読みにくくなるわで、危機感を感じている私には、

「もう若くねぇな・・!」などと軽口をたたいてる場合ではないと身に沁みる。

 

しかし、思い切って20年ぶりにTOEICの勉強を始めたのはこの方のサクセストーリーが大きな刺激になったからだ。

 

 

自分を偽っていないだろうか。自分ではない誰かの人生を生きていたとしたら?

 

ここからは私の主観になるが、人間、どんなに感情や本質を抑圧していたとしても、いつか必ず表に出てくる時がくる。

 

それがある時、爆発という形で現れてしまう人もいるだろう。

精神科の先生曰く、抑圧された怒りや悲しみなどの感情は、病気などの体調の変化として現れてしまう人もいるそうだ。

我慢し続けるとビョーキになる、それはあながち間違ってはいない。

 

ある程度の年齢をいったところで、叶えられなかった第二の人生に踏み出す人がいるように、

一度しかない人生、自分を偽って嘘をついて生きちゃいけないんだと気づくことで、その後の人生をより豊かにしてくれるはずだ。

 

ターニングポイントなんて別に向こうからやってくることなんて稀で、

自分で作ろうと思えば作ることができし、自分で「今日から180度チェンジします!」と宣言して前に進めば、もうそこから転換点となる。

やろうと決めるのも自分だし、やらないのも自分。

 

「いくつになっても夢は叶う、ただし出来るとずっと信じきること。」

使い古された言葉だが、この言葉の真意は、

できると信じ続けること。

もう一度言う。

 

できると「信じ続ける」こと!

 

 

ちょっと壁にぶつかったら、あ〜もう無理ぴ…と手を引くのではなく、

それでも何とかなると信じて進んでみることことで初めて叶う。

 

 

軒並みな感想だけど、やれる、出来ると信じていれば必ず道は開かれる。それを体現してくれるお2人には学ばせていただいたし、良いロールモデルとなった。

 

新生活が始まり、何か新しいことを始めたくなる春。

今年は何を実現しようかとワクワクしてきた。

 

ではでは。