こんにちは。Bliss@Bliss_Blinkです。
ある初老の女性が「あのご夫婦は年金○○万円ももらってズルい〜!」と悔しがっておりました。
おいおい、それは夫婦のバックグラウンドがあってそれだけもらえる資格があるんだから仕方ないだろ〜とツッコミたくなりましたが納得いかない様子でした。
人はどんな事であれ、自分よりもラクをして良い思いをしている人を見るとつい「ズルい!」と言いたくなるようです。
私たちが誰かを「ズルい」と思う時ってどんな時ですか?
周りに「あの人ズルいな〜」と思う人いますか?
「あの人はズルい!」→それ本当?
人のことをズルいと言う人は、あの人はこんなズルいことをしているんだから!と目くじら立てて言うのですが、私にはそう思えないのです。
ここで言う「ズルい人」とは自分に便宜を図ろうと不正を働いたり違法なことをして儲けている人とは違います。
人が誰かに対して「ズルい!」と言う場合、相手のおいしい行為、つまり「抜けがけ行為」を否定することで、自分の立場を高めたい、または正当化したい意図が隠れていると思っているのですがどう思いますか?
だから私は、ちょっと恵まれた立場の人に向かって「あの人はズルい!」と言う人が好きになれません。
周りからの援助もあったりでスルッとラッキーな立場に行っちゃった。
ずる〜い!と反感を買うのはこんな感じの人でしょうか。
ラッキーな立場を手に入れることは運かもしれない。「運も実力のうち」とは良く言ったもので、意識せずともその運を引き寄せたんだから実力と考えて良いはずです。
じゃあ例えば、男性の前ではブリッコになってずる賢くて計算高い女子がいたとします。
そんなブリッコさんがまんまと性格も顔も良い御曹司を見つけて玉の輿結婚できたとします。多くの女性は「ズルい!」って言うかもしれません。
ブリッコさんだって、目に見えないところで自分磨きをしているかもしれないし、みんなに見せない性格面で相手に好きになってもらえたのかもしれない。
それに「ブリッコ」であるということは男性の前で自分を演じきるスキルがあるということ。それも立派な実力に他なりません。
表面的なところを見て「あの子ズルい〜!」と言うには短縮的すぎる気がします。
運はズルい方を味方する時もある。
運は真面目な人ばかりを味方するわけではなく、ズルい人を味方する時もあると思っています。
私がもっと肩の力を抜いてズルく生きてみようと思い始めるきっかけとなった知人の存在がありました。
おそらく自分史上、空前絶後(!)にズルい人!
その知人はある男性と長年不倫をしており、男性も奥さんにバレないよう影でうまく立ち回っていたようです。
しかしある日、奥さんに男性との仲=不倫がバレることとなり、すったもんだの末、男性は離婚に至ります。
当然知人は奥さんから高額の慰謝料を請求されるのですが(←当たり前ですね)その後色々あり、
最終的に知人は慰謝料を一円も払うことなくまんまとその男性とゴールインしました。(相手の奥様とそれなりに
風の噂で知人は子供にも恵まれまあまあ幸せにやっていると聞き、な〜んだ、このくらいズルい事をしたって幸せになれるんじゃん!と、いかに自分がルールや暗黙の了解を守って生きていたことがバカバカしくなりました。
この知人の行動を見て、私の「真面目に良い子でいなければいけない価値観」のようなものがガタガタと音を立てて崩れていったのは言うまでもなく、ちょっとぐらいズルくいこうと決めるきっかけになった出来事でした。
もちろん法に触れることは絶対許されるべきではありませんが、自分の思い通りに生きたいと思ったら、多少ズル賢く振る舞うのは必要なことなのかもしれません。
真面目にしなくちゃいけないという観念をやめる
ではどうして私たちは他人のズルい行動が許せないんでしょうか。
許せない原因の一つはおそらく、子供の頃、学校の先生や親から「ズルをしちゃいけませんよ。」と教わったことによるものでしょう。
特に日本で育った人なら、和を乱すことは良くないこととされ、ちょっと抜きん出ようものなら必ず注意や指導という形で押し戻されてきました。
クラスに一人はいる”優等生さん”は、掃除をサボってホウキで遊んでる男子を見つけては「先生〜!〇〇さんがズルをしていますッ!」と目ざとく見つけてチクられるし、そうやってズルいことをして怒られる経験を重ねていくうちに、ズルいこと=いけないことだと知るんですよね。
同時に真面目にコツコツと努力していれば必ず報われる時がくると教えられます。
大人たちは真剣な顔をして、真面目でズルイことをしないコツコツさんだけが幸せを掴む権利があるとでも言わんばかりに、エジソンや偉人の話を言って聞かせます。(ちなみに発明王エジソンは部下のニコラ・テスラに嫉妬してエグいことをしていたのは有名です)
”ズルい奴は失敗するぞの教訓”として、有名なところだと「アリとキリギリス」のお話が引き合いに出されますが、大人になってから周りを見てみると、アリとキリギリスの世界観はどこにもなく、のらりくらりと遊び暮らしていたキリギリスのような人の方が実は愛嬌があって友達に恵まれていて、チャンスを掴んで安泰にうまくやってる〜なんて話、ザラにありませんか?
一番良くあるのがコネ、つまり「縁故採用」といったところですかね。あれも真面目に就活して書類選考から最終面接までこなしてやっと内定を勝ち取った人から見たら…ズルい行為ですよね。
でもでも。コネを使える有力な親や親類を持っているのもある意味大きな「実力」だと思うんですがどうでしょう。
それでもやっぱりズル〜いと言いますか?
ちょっとぐらいズルい方が人生うまくいく
しかし大人になった今では、ズルいことをしたからと言って先生に注意されることも親に怒られることもありません。
自由っちゃ自由なんですよね。
ズルい人ほど世渡り上手でうまく行っているのを私もたくさん見てきましたし、あの人はズルい!ズルくない!と人をジャッジして生きるより、素直に自分もズル賢くなっちゃった方が何倍も人生トクします。
努力すべきところはちゃんと頑張って、自分の力だけではどうしようもないところはズル賢く他人の力を借りることができたらもっと人生がラクに楽しくなるのではないでしょうか。
もちろん表向きは「私頑張ってます!」と素直で真面目なあなたを装っていれば良いんです。
どんなに順風満帆でも「え?今?大して苦労もせずうまくいっちゃってます」なんてうっかり本当のことを言ったら「ズルい!」と思われて叩かれるので、あえて周りには「大変なんですよ〜」と頑張っているアピールをすればOK。
結局のところ、誰もが抱えている嫉妬心のはけ口にされているだけだということが見て取れるはずです。
ズルい!と眉間にシワを寄せて他人の暮らしに目を光らせているうちに、ズルい人はどんどん運に恵まれて、さらに羨むほど良くなっていくんです。
それでもあざとく見つけて「ズル〜い!」と揚げ足を取ってくる人は自信がなくて周りに嫉妬ばかりしている人か、自分のズルさを棚に上げている人だけです。
だからもっと自信を持ってズル賢く生きてみませんか?
ではでは。