猫好きが高じてライオンやトラなどの「ネコ科」の動物も大好きになりました。
ネコ科の大型動物がいる猫カフェその名も「
こんにちは。Bliss(@Bliss_Blink)です。
最近、南アフリカのある動物保護団体Youtubeチャンネルにハマってリモートワークの合間によく観ています。🎶
その団体では、何らかの理由で保護された野生のネコ科の動物たち(と言ってもほとんどがライオン🦁やトラ🐯、チーターの猛獣!)の飼育をしていて、常時さまざまな種類の野生動物がいるようです。
同じネコ科でも種によって体のつくりはバラバラであり、それぞれが生息している地域に適した体のつくりになっていることが見て取れるそうです。
ヒョウは草陰に隠れて獲物を狙う習性があり、まさにその狩りの仕方はスナイパー。木登りが得意なので高い木の上で寝起きをすれば天敵のライオンからも身を守れます。
南米のアマゾン流域に生息しているジャガーは川沿いに住んでいるので水が大好き。硬い甲羅を持つ亀やウロコを持つワニを食べられるよう、強靭なアゴを進化させました。
駿足の持ち主・チーターに至っては哺乳類最速なのは言わずもがな。
頑張ってもチーターになれないイエネコ
特に色々なネコ科の動物の赤ちゃんを一緒に育てていると性格や体の特徴の違いがよく分かるそうで、
先述の動物保護センターのある動画の中で、ある飼育員さんは「動物はその体に”デザイン”されて生まれてきているんです。」と話し、チーターならチーター、ライオンならライオンの生態に合った保護環境を整えてあげることが大事だと締めくくっていました。
そうデザインされている—。
そうか、動物と同じように人間だってそれぞれ違ったようにデザインされていると考えればいい、と妙に納得するものがありました。
動物には生まれ持った特性や得意不得意、好き嫌いがあるのと同様、人間もそれぞれ生まれつき性格や得意不得意が決められていて、あなたは「そうなるように」デザインされているのかもしれません。
暇さえあれば縁側でぐで〜んと伸びているネコでネコであるように。
一方、私たちの身近にいる猫さん達はと言うと…
武器である強烈な猫パンチもライオンやトラのそれとは比べ物にならないほど弱い…。🐈
足の速さだってチーターにはかないませんし、体の大きさなんて犬に比べても小さい💦
しかし当の猫サマはそんなことどこ吹く風。ご飯を食べると人間社会を眺めることができる高い場所に特等席をつくり、今日もせっせと(?)昼寝に励みます。
猫からしたら「だから何?」であり、自分は猫だから水が苦手だとか、毛玉を吐くのが得意だとか、自分の得意不得意はたいして気にしていないようです。
動物はいつも自分ファースト
動物の世界に不平不満やコンプレックスはありません。
動物は鏡で自分の姿を見ることもないので、自分が一体どんな顔をしているかすら知らないまま生涯を終える動物もいるでしょう。
そもそも自分は「猫」という動物であり、しかも「オス」だというカテゴライズすらしていないはず。つまり自覚がない。
「なんで俺様はこんなイケメン、いやイケネコなのにモテないんだろう😿」と自分の顔かたちにコンプレックスを感じている猫はいないし、
「オレもライオンみたいにカッコよくてチーターみたいに足が早かったら、もっと充実してたと思うわ〜😾」なんて他の動物と自分を比べたがる猫もいない。
動物は本来、生まれ持って”そうデザインされた”顔かたちのまま、毎日決められた獲物や食物を確保し、今日食べる分だけを食べて何も考えずに眠ります。
動物はいつでも自分主体に生きる自分ファースト主義なんです。
ありのままの自分を認めてありのままで生きている存在、それが人間以外の動物ではないでしょうか。
ありのままの姿を見せるのよ〜 アナ雪にもそんな歌詞ありましたっけ。
動物と同じような視点を持てとか動物に学びたいなんてクサいことは抜きに、
自分はこのようにデザインされて生まれたことを”認める”ことで、もっともっと生きやすくなると大きな気づきを得たのです。
自分は猫だと認める
私たちはみんなそれぞれ顔かたち、体の大きさや性格も違います。
日本人とアメリカ人では体の大きさや皮膚の色、顔かたちもまるっきり違いますし、
似た通ったかに見える日本人同士だって、当たり前ですが十人十色であり、それぞれ性格から育ちから得意不得意もぜ〜んぶ違うのです。
今はネットの普及によって、人と自分を比べることがたやすくなったと言われています。
みんなそれぞれ持ち合わせた素質や才能は違うのに、努力さえすればいつか誰かのようになれると信じて無意識に人は上ばかりに意識を向けている気がします。
猫に生まれたのに犬になりたいと努力したり、猫なのに自分は鳥だと信じて空を飛べない自分に劣等感を感じたり…
苦しいのは自分以外の誰かになりたいとか、誰かになろうとしている時だと思うんですね。
猫が犬にはなれませんよね〜😅(昔飼ってたオス♂猫です)
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周りばかり見て今のままの自分ではいけないと焦りを感じたり、うまくいっている人に嫉妬してしまったときこそ自分主体に戻って「デザインされた」自分を思い出して欲しいのです。
そんな自分を変えようだとか、そんな性格は良くないから自分はダメな奴だとか、他の誰かと比べて自分を決めつけるのは意味がない。
長所や短所があるのは、あなたがそうデザインされたからであり、猫に生まれたあなたがライオンやトラのようになれるわけがない。
さらに付け加えるなら、
ライオンやトラが優秀で猫が劣っているわけではないということ。
それぞれにはそれぞれの良さがあり短所もある。違う種類のものを比べて優劣はつかないし、周りと自分を比べることは不毛だと気づきます。
そろそろ自分以外の理想を追っかけるのをやめて「ありのまま=等身大」の自分を認めちゃいましょうよ。
自分は猫だったと知るために失敗も経験しよう
あなたが周りに合わせて変わろうとするのではなく、あなたの特性を生かせること、あなたが幸せだと思うことが本来あるべき姿であり、あなたが一番幸せになる道です。
結局のところ、自分が「猫」だったと知るには、色々な仕事を経験したり、手当たり次第やってみて挫折や失敗を経験しないと分からないのです。
〇〇を目指して資格の勉強して思い切って転職したけどやっぱり向いてなかった〜チャンチャン🎶になっても絶対に自分を責めないこと。
失敗しても挫折しても思うような結果が出なかったとしても、あなたには向いていない=そうデザインされていない、とが分かって良かった、と考えると後悔はありません。
内気でのんびりスローペースが好きな人は、努力したからといって社交的でバリバリ動くキャリアウーマンにはなれなかったと分かるだろうし、
大雑把でおっちょこちょいの人は、緻密で正確さを要求されるようなことは向いていなかった〜と分かるでしょう。
分かったら次はそれを避ければいい。
失敗を重ねていくうちに消去法であなた本来の素質や才能が浮き彫りになってきて、現れた自分の素質がピカピカ輝き「これがお前の本来の姿だよ!」と存在感を放つようになります。
色々やってきたけど、なぜか今まで失敗なくやってこれたことがあなた本来の素質であり、あなたが自分のままでいれる、あるべき姿と言えるでしょう。
トラにもライオンにもなろうとしたけど、鏡を見たとき初めて自分は「子猫」だったんだ〜🙀と知る感じでしょうか。
んなわけあるか〜い!と言われちゃいそうですが、案外人って自分を繕って大きく見せて生きていますから。
自分はこれでいい、その心地いい落としどころを知ると、もう台風でも飛ばされない本当の自信がつきます。
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あなたはあなたのままでいい、なぜならそうデザインされたから。
自分はそのままでいいと認めることで、流れに乗って委ねる生き方につながり、ジタバタもがくよりもストレスなく一番幸せになる生き方になります。
↓こんなに必死だっていいんです