最近、内向型の記事ばっかり書いている。
なぜなら内向型について考えだすともっと知りたくなって止まらなくなるからである。
何かを始めるとトコトン追求し出すこの気質こそ、自分が内向型だな〜と思い知らされる瞬間である。
夏休みの自由研究で、『外向型と内向型』について研究したらもっといい賞もらえたのでは?とちょっと後悔した。もう遅い。
こんにちは。BlissBliss⋆*@テキトーでもうまくいくです。
人の悩みは十人十色だけど、おおよそ『お金』『健康』『人間関係』の3つに集約されるんだそう。
・・これにはぐうの音も出ない。
中でも社会生活の中で切っても切り離せないのが人間関係の問題だ。
本屋に並ぶ新書を見ても対人スキルについての本や、自分が傷つかないためのセルフヘルプみたいな本がすご〜く多い。そのことから日本人の人間関係への関心の深さがうかがえる。
というか、「人間関係」という言葉からして滲み出すこの辛気臭さ。どうにかならないものか。
人間関係という言葉もそれ自体も大嫌いなので、もし転職先の会社のエントランスにデカデカと「人間関係」なんて張り紙が貼られていたら尻尾を巻いて逃げるだろう。絶対ないけど。
英語で「人間関係」をなんというか考えてみたのだが、英語圏だと日本人特有の「人間関係」を表す単語が存在しない気がするのだ。(※あったら教えてください)
それに近い言葉として私のショボい語彙力で挙げられるのは、せいぜい『Relationship(リレーションシップ)』といった単語ぐらいではないだろうか。
海外の人に日本の「人間関係」なんて言葉の意味を教えたらイヤな顔をされるのは間違いない。
人間関係は誰にでも悩まされるが、内向型にとっては特に厄介なものだ。
一般的に内向型のタイプは感受性が人一倍強く、周りの出来事を敏感に察知することに長け、よく頭の中で思考する。
そんな内向型タイプの人間は、いく先々での人間関係に苦労した(させられた)経験は多いと思う。
フツーに生きているつもりでも生まれ持った受信感度が高いため、外で起きているちょっとしたことに悩んでしまうことがあるためだ。
気にしなくてもいいことを気にしてしまうし、気にするなと言っても頭の中で何度も浮かんできて”気になって”しまうのである。
「内向型女子あるある」はこんなところだろうか。
・発言権が弱く、周りの人によって声がかき消される。
・ストレスに弱い。よくお腹が痛くなる。
・職場では電話や雑用に追われて自分の仕事にうまく集中できないことが多い。
・ランチ休憩の間の「女子トーク」がウザい。隙あらば一人で外に出て昼食を取りたい。
・残業時にはもう疲労困憊で何も手がつかない。
・一対一の関係は好きだが集団生活などは苦手。
まだまだあるがザッとこんなところだ。
もうお気づきかと思うが、これは私の実体験である。
朝起きて会社行って人間関係をこなして帰ってくる─みんな当たり前にやっている社会人ライフが自分にとってハードなのは、自分の生活がちょっと変わっているせいだと薄々感じていた。
「疲れた〜」と言いながらも何でみんなそんな涼しい顔してこなすのだろう。その体力と精神力はどこからくるの?鼻からノドから?と疑ったものである。
しかし今は自信を持ってなぜ自分がそうなのか、会社の多くの人と感じ方が違うのかが分かる。
それは自分が「内向型」の体質・気質を生まれ持っているからだ。
内向型について
もし今上に挙げたように会社生活で消耗しまくっているなら、もしかしてあなたの体質が「内向型」だからなのでは?と声を大にして言いたい。
私は医者ではないので体の状態から診断することはできないし、あくまで実体験として語っていることを了承いただきたい。
体のつくりが「内向型」で生まれついているから社会一般的な「外向型」の生活スタイルによって負担が増えてうまくいかないようになっている、と仮定してみると、自分が経験してきた数々のギモンがスルスルと氷解していくように感じるはずだ。
私は以前、スーザン・ケイン氏やマーティ・O・レイニー氏の本を読み、そこで初めて「内向型」という生まれ持った性質があること、そしてそれは生涯にわたり考え方や物の捉え方に影響を及ぼすと知ることになった。そりゃもう衝撃で「あーだから今まで私はこうだったのね!!」と納得しまくりだった。
そりゃうまくいかないよね〜と脱力さえ感じた。だってそうである。今まで原付で車と同じスピード出してセカセカ動いていたようなものだった。
そりゃ車より先にガソリンがなくなるし、先に動かなくなるよね・・。
考えてみたら当たり前の事実だが、何の疑いものなく同じことを私はやってきた。しかも「何で私は車みたいに走れないんだぁぁ ぴえ〜〜ん!」と嘆いていた。そりゃあなたが原付だからだよと。
すっかり元気になった単純な私は、過去を振り返るのはやめて、今からどうやって食って行こうか、基盤を見出して行こうかと考えていた。(内向型は考えるのが苦手じゃないッス。むしろ暇さえあれば考えているぐらい考えることは内向型にとって「思考」はアイデンティティだ。でも私の場合「考える葦である」ではなく「考える原付」かもしれない。←我ながら上手いことを言った。)
そこへ来てこのコロナ禍である。
緊急事態宣言のもと人の動きや行動が制限され、多くの人が自粛のほかにテレワークや家で過ごすを強いられた。
・・不謹慎かもしれないが、新しい生活様式で「よっしゃぁぁ!」とガッツポーズをしているのは間違いなく内向型のタイプだ。
私はコロナ前から在宅勤務、今でいうテレワーク人間なのだが、水を得た魚のように生き生きして仕事をしている
生き生きしすぎて「神様ありがとう。アイラヴユー・ソーマッチ!!😇」と天に向かって愛を送っているくらいだ。我ながらキモい。でもそのぐらい今の環境に感謝しているからだ。
自分の体質や性質に合った環境や働き方を察知してそこに身を置くことは大切だと言いたかった。大切なんて生易しい言葉じゃなく自分にあった環境を見つけることは「あなたの人生を決める」と言っても過言ではない。これは内向型も外向型も同じだと思う。
30〜40代の私たちは特に働き方は一方通行で、大学を出たら就活して毎日会社へ行って8時間プラス残業して週5日仕事をするという働き方しかないと信じ込まされ今を生きている。
しかも氷河期末期に就活をした私の世代なんて、名だたる有名大卒ですら非正規で「契約社員ウェーイ!」と居酒屋で語り合った悲しい歴史がある。
しかも出産や育児でのブランクという、女性ならではのコースアウトも経験している。だからメインストリームに乗れなかった世代だ。
陰キャが陽キャのふりをしていた
最近では人のタイプを大きく2つに分けて「陽キャ」「陰キャ」と呼ぶのが一般的なようだ。
陽キャとは基本的にアクティヴに毎日を過ごし、いつも人に囲まれて人生うまくいってそうなタイプの人たちのこと。美男美女ばかりで学生時代はヒエラルキーの頂点にいた、あのキラキラで眩しい人たちのことだ。ちょい昔は「リア充」なんて言っていた。
それに対して陰キャとは、その逆。基本的に目立つことはせず、一人で過ごすことを好んで一人の時間を楽しめるのだが、とにかく地味で目立たない。ファッションや流行のメイクに疎いし、ちなみに学生時代には目立たない日陰ポジションにいたため、陽キャから「そんな人いたっけ?」と存在すら疑われちゃう陰キャもいる。
この陽キャ陰キャは、人生の「陽の当たる側」にいるか、それとも影にいるかで性格のタイプを実にうまく表現している。考えた人天才。感心している場合じゃない。
話を戻す。
おそらくだけど私たちは、
陽キャ=外向型 陰キャ=内向型
こんな風に決めつけているのではないだろうか。
誤解をまねくことのないよう先に伝えておくと、必ずしもそうだとは限らない。
大人しそうだけど人前に出るのが好きで、友達との付き合いを広げていくのが好きな人もいれば、社交的で活発な雰囲気がありがながらプライベートでは交友関係を遮断して引きこもるのが好きなんて人もいる。
外向型か内向型かを決めるのは体の作り、特に脳の器質的な違いによるものだと明らかになっている。
そうなのだ。科学的に
じゃあ何が違うのという話だが、過去記事を読んでいただくとギモンが氷解するはずだ。(めんどくさいので説明省略)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
実際、人前に立って華やかな生活を送っているように見える有名人にも内向型は多く、『職業外向型』をうまく使い分けている人は多い。
一見すると陽キャっぽいが実は内向型という「偽外向型」人は、社会の中にかなりの数が潜伏していると見ている。まあ私もそうなのだが。
外交的に振る舞って友達とウェーイ!とハメ外して過ごすことは苦じゃなかったし、自分の考えを率直にペラペラ話すことができた。見るからに内向型で控えめなタイプの友達から敬遠されていたぐらいだ。
外向型なんじゃないの?と思われるが、これはニセ外向型が経験でつちかってきた「演技力」がなせる技である。つまり外向型のフリだ。
だってしょうがない。内向型だとイジメられやすいし、もっと積極的に外へ出ていかないと友達ができない。SNSのない時代に自分のやりたい趣味を広げようとなったらリアルで友達を作る必要がある。外向型に振る舞う必要があった。
そうやって偽外向型を装ってきた内向型な私は、ある時からやっと本来の自分の性格を理解し、人の輪の中に入りたい時は入り、一人で過ごしたい時は一人で過ごすという、なるべく自分の本質にあった過ごし方を選んでいる。ようは歳とっただけである。
働き方に迷ったら「親」の働き方に答えがある?
以前読んだ本で、働き方に迷ったら親や祖父母、親戚の働き方は大きなヒントになると知ってなるほどと感心したことがある。
理由は単純だ。
親からは遺伝によって性格や知性を受け継ぎ、さらには育ってきた生活習慣などからも学ぶからだ。
私のロールモデルとなったのが父親の存在である。
どこか飄々としていてマイペースにユラユラ泳いでいそうな父の姿から過去に「クラゲ人間」とブログに書いたことがあった。
しかし最近では、むしろクラゲというより「ネコ」そのものであると感じている。これは実家が代々猫を飼ってきて無類の猫好きなこととは関係ない。
猫は人から指図されることを嫌い、好きな時に自分がやりたいことをする。人間にもそんなネコ型のタイプがいると思っている。
父は若い頃に独立してからずっと自営で生計を立てて来た職人肌タイプの人だ。
”こうじょう”ではなく”こうば”と言った感じの小さい修理工場で、イスに腰掛けて一服している姿が似合う骨と皮だけの小柄なおじいちゃんだ。
パイプ椅子に腰掛けて一服しているその姿はまるで日なたで丸くなっている猫だ。
ネコ型だけど友達は多く、行く先々で知り合いがおり、今は亡き私の母も「父親の交友関係は知らない」と言わしめた謎多き男だ。
歳とった今でも毎日ひっきりなしに古くからの仲間たちが父の工場へ訪れる。
かと言って仕事をもってくるわけでもなく、ただ喋りにくるだけのジジイばかりだと父は嘆いているが・・。
目の前の仕事に集中し職人芸で仕事を仕上げて、仕事の合間に気が向いたら畑仕事をこなし、空の様子を見て「こりゃあ、ひと雨来そうだなぁ」と早めに片付ける。
大きな組織の歯車の一つとなって仕事をする「会社員」なんて世界は父の世界に存在しない。
どう見ても、好きな時に大好きな仕事に集中し、気が向いたら別のこと(土いじり)をする。クソみたいな人間関係や社内政治に縛られず、全て自分の裁量で責任を持って仕事をしているのである。
最近よく見る起業本や働き方の指南書みたいな本って、大抵この働き方について書かれている。
よく分からないけど、インフルエンサーだかネクロマンサーみたいな名前の人達も、こぞって従来の働き方を捨てて自分の好きなことでお金を稼いでいるらしい。
私がうら若き乙女だったころは、背広を着て”カイシャ”に行く父を持つ友達がうらやましく、ツナギ姿の父を見て恥ずかしいとさえ思ったことがあったが、今となっては実は父の働き方こそが、超理想で贅沢な働き方なのでは?と気づき始めている。
適所適材とはよく言ったもので、父にとってはこの一人で人間関係に縛られずに好きなことをして働く、というやり方が性分にあっていた。もちろん幾多のトラブルや苦しい時代もそれなりにあったらしいが、彼のライフワークだったからこそ飽きずに長く続けてこれたのかもしれない。
自分にとっての人生の指標となるお手本、つまりメンターは遠くにいると思ってたのに、ところがどっこい。実は一番近くにいたという話だ。
親とは性格も体質も似ているものだ。そりゃ親の遺伝子を受け継いでいるわけなので。
だから親の働き方って案外参考になると言える。親の親、爺ちゃん婆ちゃんの気質や何が好きで何が嫌かといったことも大きなヒントになる。
医者の家系、音楽家の家系、占い師の家系いろいろあるが、生まれ持った遺伝を生かすと、大した努力もいらずにスッと仕事に繋げることができるのであながち遺伝は無視できないと思っている。
ネコ型人間の娘なので私も『ネコ型人間DNA』が入っているのだろう、血は争えないのだ。
ネコは犬のように、人間様の命令を忠実に聞くことはできない。せいぜい気が向いたら行動して気が向いたらご飯を食べるのが関の山だ。そしてそれが体質に合っている。
それこそがネコ型の私が私らしく生きる道である。
ここまで読んで「私もどうやらネコ寄りかもしれない」と感じたらぜひ、自分がネコ型だということを否定せず生かしていただきたい。
犬に比べると猫は芸は覚えないし、自分勝手にのらりくらりとしてそうなイメージはあるだろう。実際そうなのだが、猫には秘めた能力がたくさんある。
野生のネコ科は自然界の捕食者であり、生まれながらのハンターだ。普段はダラダラ寝ているけど、いざとなれば風のような速さで木に登れちゃうし、体の何倍もある高さをヒョイと乗り越えるジャンプ力もある。自分の顔サイズの狭〜い穴だって入っちゃう。実はスゴい身体能力を秘めた動物だ。
ネコ型人間も同じだ。
いざとなったらやる時はやるし、普段は現れないがキラリと光る能力を発揮することができる。
テレワークは内向型に向いている理由
ブログでも何度か匂わせているが、私は雇われているが普段はテレワークで仕事をしている。コロナ禍前から在宅組なのでテレワーカーと呼ぶのは抵抗ある。
外向型か内向型かで向いている労働環境も違うのは前述の通りで、内向型の女神スーザン・ケイン氏も著書の中で内向型向けの労働環境のあり方を提案している。
自分が外向型か内向型の働き方がいいのか分からない場合、見分け方は単純に、社内外問わず人に囲まれた環境でチームで助け合って仕事をしたいか、自分のペースで一人(またはごく少人数)で仕事をしたいかである。
前者は外向型向け、後者は内向型向けの働き方だ。
自分の特性に合わない働き方をするとストレスになるのは容易に想像できるはずだ。想像してみてほしい。外向型のあなたが人と関わることのない自室で一人、黙々と仕事をしている姿を・・
内向型のあなたが仕切りのないオープンオフィスで、みんなの顔が視野に入りまくる席でチームと足並みを揃えながら仕事をする姿を・・。
1ヶ月で頭おかしくなる。
現に今まで頭おかしくなる働き方をしてきたのだ。
内向型の私からしたら「こんな働き方なんて冗談はよしこさんにヨシオさんだぜ!」なのだが、その働き方しかなかったし、これしかないと疑うこともなかったので長年この働き方で働いてきたのだ。
そこでここにきてコロナ禍という大変革がきた。
最近は念願の後者の働き方にシフトしてきた。
一度在宅で仕事をするとその良さから抜け出せなくなるだろう。
さあこっちの世界へおいでおいで・・
前置きが長くなったが、私がテレワークを始めて体に起きた変化を書いてみる。いいヒントを得て、今お勤めの会社に提案する大きなきっかけとなれば嬉しい。
体調が総合的に良くなった
好きな時にトイレ行ける(お腹ピーピー族にはこれ大事)
お腹が痛くなる機会が減った
伸び伸びと仕事できる
生きている実感がする
休み時間に用事を済ますことができる
お昼休憩の女子社員たちとの仲良しごっことオサラバできた
心臓がドキドキしない
「お腹ピーピー」に反応したあなたはお腹ピーピー仲間である。同族に会えて嬉しい。
私はどうやら軽い「過敏性大腸炎」のケがあるようだ。以前はその疾患を疑って受診しようかと思ったけれど、テレワークになったら治ってしまった。なのでそうとも言い切れない。
なのでその手前の「お腹ピーピー(略してOPP)」の段階であるということにしておく。
OPPにとって、いつでもトイレに行ける環境があるというのはこの上ない喜びだ。
会社ではトイレ休憩は自由だが、「大」をできる状況は限られている。他の人がいなくなったすきにサッとトイレに駆け込み、一気に済ませて何食わぬ顔で出てくるというミッションを遂行しなければならない。
広くて綺麗なトイレなら万歳なのだが、会社によってはボロかったりトイレが妙にデスクと近かったりと残念な設計になっていることもしばしば。
ちなみにトレイが狭くて汚い会社はブラック率が高いので覚えておこう!
・・・
・・あれ? なんでトイレの話をしているんだろう?
ここまではテレワークで私の身に起こった良い変化を書いたが、
その反面、出社する度にこんなところが苦手に感じるようになった。
横やり「ちょっといい?」と雑用を頼まれるとウザい
好みの体勢で仕事ができないストレス
好きな時におトイレ行けない
清掃・電話応対などの仕事外の雑用にウンザリ
メイクや服装にお金と労力をかけるのが辛い
お昼休憩時の不自由さに泣く
苦手な上司の顔を間近で見なくてはいけない
集中しづらい
椅子やデスクが合わなくて首腰痛い
まだまだある。
我ながら書き出してみると、よほど会社…いや社会というものが苦手なのではないか?と思うほど苦痛に感じているところが多いのである。
これまで何の疑いもなく適応した(したと思っていた)会社の細かいことなども、テレワークという神環境を得たことで全てが苦痛に思えるようになってしまった。
女性なら一度は体験したことあるかもしれないが、一部の会社には女性従業員だけに課される雑務がある。給湯室やトイレの掃除、各フロアの掃除まで女性がまかない、当番制で順番に掃除を任されるケースがすごく多い。
女性だけに来客時のお茶出し仕事があったり、電話応対を押し付ける会社も未だ存在する。
これだけではない。
女性には「お昼休憩」というタスクが存在する。これはお昼を黙々と食べるだけではない。
入れ替わり入ってくる女性スタッフを相手に、当たり障りのないトークを展開する高スキルを要求される時間だ。
時には誰かの自慢話を延々と聞かされることもあるし、誰かが言ったことに「そうですよね〜!」と同調することもある。先輩の悪口愚痴を聞かされ守りに入ることもある。
これだけなら逃げ出すのだが、数回に一回はそこそこトークが盛り上がったりするのだ。そうすると悪くないかな〜と感じて麻痺してくる。これがくせ者なのだ。
一人で黙々と昼食を食べて食べ終わるとサッと席を後をする男性スタッフが死ぬほど羨ましいと思ったことはないだろうか。
もし男性と同じようにドライにお昼休憩を取りたいなら、それぞれが個々にすきな時間に休憩を取ることができたり、休憩時の外出が許されているなど、フレキシブルな職場にすることをオススメする。
残念だけどそんな職場はない。
ない、とは言いすぎたかもしれない。だが経験上、そんなステキな職場は都市部にしかない。
だから内向型の人こそ都会へ出よう!
内向型のやり方を乱す外向型に気をつけろ
テレワークや在宅仕事で気をつけて頂きたい人物がいる。
あなたの近くに出社したがりの外向型タイプの人間がいると厄介だ。
その人はあなたの環境に否を唱えるタイプの人だ。
外向型は大人数の中にいないとエネルギーが切れて不調になる、私たちとは正反対の特性を持つタイプの人間だ。
直属の上司や先輩にこの手の外向型がいたら最悪である。全てが外向型に沿った指針で進行するので、私たち内向型は合わせなくてはいけなくなる。声を挙げたとしても声のデカい外向型によって小さくてかき消されてしまいがちだ。
私たちがこの「テレワーク」の環境が自分に向いていて仕事が捗ることをいくら伝えても、彼らにとっては一人でさみしく働く環境を強いられている「かわいそうな人」に写ってしまうのだ。
そこで余計なお世話を作動させて出社できるように促したり、テレワークそのものを廃止させようとしたり、こちらから見たら「破壊工作」なのだが彼らは本気で親切心から手を差し伸べようとしてくる。
ここは毅然と相手に自分はこの働き方が合っているし捗るのだと述べておこう。
外向型100%の人ほど、あなたの主張が理解不能に移る。これ以上は「超えられない理解の壁」があるのでどうすることもできないので放っておこう。
今やツールはたくさんあるし、家にいたって会議や諸々のコミュニケーションで何ら困ることはない。ちゃんと結果を出していればサボっているのでは?などとイチャモンをつけられたり文句も言われないだろう。
むしろ出社した方がサボれる。
集中力なんてたかだか午前中ぐらいでプツリと切れるので、適度にぼーっとしたり席を立ったり、おしゃべりをしながら、仕事をしているフリをしてやり過ごすのではないだろうか。8時間のうち集中して仕事をしたのはどのくらいか洗い出してみると見えてくる。
私の上司はバリバリ外向型人間だが、幸い、テレワーク賛成派で理解ある上司なのでのびのびと仕事ができている。
一方、外向型の同僚はテレワークが不向きのようで出社して仕事をしているが私と同僚で差別されることはない。
この快適すぎて生産性バツグンのテレワーク環境を守り抜こうと思っている。後から入社して来た時にとってテレワークの前例があり、その基盤ができていると魅力的に映るし働きやすいはずだ。
HSPの存在も知っておくといいよ
最近「HSP」という新しい単語を耳にする。
HSPとは「ハイパーセンシティブパーソン」を略したもので、心理士のイルセ・サン氏が提唱した「精神的にも肉体的にも敏感で影響を受けやすい人」のことを指す言葉で最近認知され始めているようだ。
私もきっとそうに違いない!となぜか目をキラキラさせながらこの手の本を読んでテストもしてみたが、どうやら私はただちょっと繊細なだけの「その他大勢」だと認識しただけだった。
というわけで、テストの結果こそスコアがHSPの範囲に入っていたのだが、HSPに対してあまり過度に依存や期待はしないようにしている。
しかし、イルセ・サン氏の本は一読しておくと見えなかった自分のクセに気づいて人生が変わる人もいると思うのでオススメしておきたい。
まあ人より繊細なところもあるよね、心も体も外部の影響を受けやすいよね〜と自分を認めて、ほどほどに刺激を受け流して傷つかない生き方を模索していくためのヒントとなる良書だ。
日本人が書いたHSPの本もたくさんあるのだが、HSPに関する本はこれぐらいしか読んでいないので、あまり言及するのはやめておこうと思う。読んだらまた報告します。
外向型の中で生きる内向型
それにしても、どうして会社というものをこれほど外向型ばかりなのか。日本には内向型が沢山いるらしいが、彼ら皆どこへ行ったのだろうか??
地上で生息しているのか?もはや居場所をなくしてモグラのように地下に潜っているんじゃないか?と常々疑問に思っていた。
最近その答えがわかった。
ただ「外向型のフリ」をしているから内向型がいないように見えるだけだ。
自分もそうじゃん、と気づいたオチまである。
いちおう社会で生きていくためには、ある程度のコミュ力や集団の輪の中に飛び込んでいく力も必要だからだ。
内向型でも必要とあらば、外向型の仮面をかぶってエイヤッと人の輪の中に飛び込んでいくことができる。
仕事を終えたら仮面を取って一人ゆっくりと過ごせばいい。それの繰り返しに嫌気がさしたら仮面をかぶる回数を減らす方法を考えてみよう。
内向型は一人になって内省することが得意なので自分の本質の声に耳を傾ける時間を作るといいだろう。
仕事のあり方は自分に合っているか、今の環境はあっているか、見直してみるといい。
体調が良くなかったり不安やストレスを抱えている場合、何かのあなたに合っていない。
また長いだけのまとまりのない記事になってしまった。
そこで無理やりまとめることにする。
まとめると「テレワーク(在宅勤務)最高ですよ」ってことである。
・・というのは冗談だが、自分に適した環境で生活することを最優先にすると自然と幸せがついてくると感じたためこの記事を書いている。
テレワークの普及によって日本の働き方に多様性が生まれてくれることを願うばかりだ。
ではでは。