こんにちは。Bliss(@Bliss_Blink)です。
週末はいかがお過ごしでしょうか。
関東は温かい週末となりました。
ヒラメキは突然に。
Blissは日曜日と夜中にヒラメキを得る事が多いんですが、
何気なく読んでいた漫画「たそがれたかこ」の一コマにズドーンとヒラメキの一瞥があり、いてもたってもいられず
忘れないうちにこの記事を書く事になりました。
それは何気ない一コマでした。
離れて暮らす娘、
どうしてそんなに千切りの料理が多いのかと聞かれた主人公たか子が
「好きなんだよ。」と切り出した直後、
「千切りをしていると 無心になれるというか・・」とつぶやくシーンがありました。
ここでBlissの読む手がピタリと止まったわけです。
「無心・・無心になれる」
頭の中にはファインダーを覗く自分、のイメージが浮かび上がりました。
「カメラやれ。 カメラ。」
オッサンとも言えるような自分とも言えるような、確かにそんな声が聞こえたような気がする。(しかも直接脳に・・!)
よく見ると鳥獣戯画っぽいウサギと蛙になっていた。
無心になれるものに【やりたいこと】が隠れている
「えーカメラ?写真?そんな好きなんて知らなかった。」
これがヒラメキを得た時の率直な意見でした。
写真とかそんなに意識したことなかったけど、
そう言われてみれば、カメラ越しの私は無心になっていることにハッと気づきます。
読んで字の通り。無心とは、
心や自我がパッと無くなり、目の前の物事と一体化してしまう事です。
今は【ゾーン】と読んだりするのかもしれませんが、
私が外の事象「そのもの」になってしまう時がある。
ファインダーを覗くと無心になりすぎて、
娘に注意されるほど集中して構図を取っている。(iPhoneだけど)
写真をiPhotoにつないでいざっ!と写真をチェックする時、
Photoshopとにらめっこして、細かい色合いが気に入らないからと、
夢中になって過集中しまくって、時間があっという間に過ぎていく。
一生物のカメラ欲しいな、美しい物を撮りたいな、と興味がわいてきたのも
最近のことだった。
そうか、やっぱり私はカメラや写真が好きなんだな、と腑に落ちて、
妙に納得している自分がいました。
ルーツは写真好きだったおじいちゃん
カメラと聞いてふと頭の中に浮かんでくるイメージがあります。
それは祖父の遺品のカメラ。
祖父は趣味で長いこと写真をやっておりまして、
亡くなる直前まで愛機のファインダーを覗いていました。
デジタル一眼レフが主流のこの時代に、
時代遅れの雰囲気がしてイケてないと敬遠していた祖父の銀塩カメラ。
祖父亡き後は誰も触らず、ひっそりと、
愛用の収納ボックスに仕舞われたままになっていました。
最近また銀塩カメラの良さが再認識されており、
脚光を浴びているなんて話も聞きますが、
どうせメンテ代もかかるし〜と、そのカメラの存在をスルーしてきたのを思い出しました。
あのカメラ、何か気になる・・。
最近やたらチラチラ脳裏に浮かび上がるんです。
これはあの銀塩カメラを手にせよという宇宙のサイン?
とりあえず銀塩カメラを取りにいってこよう。
没頭できるもの。
無心に取組めるもの。
そこにやりたいことや才能が隠れていると言われています。
無心になれるものをたどっていけば、
魂のライフワークに巡り会うかもしれません。
いつも読んで下さってありがとうございます。