「生きる」ということは過ぎ去っていく生活の一部を
ぐっと拡大して見つめること。
過ぎ去っていく生活の一部に奇跡があると知ること。
例えば泣きたくなるような夕焼けと月と、金星。
例えば池に咲いていた睡蓮の花。
「昔はこうで・・」
「未来のことを考えて・・」
今ではない過去や未来に意識を向けてしまったら、
今の世界を拡大して見ていなかったら、
目の前にある奇跡なんて見えないふりをしてしまうだろう。
大人の視線からは見えない世界がある。
子どもの見ている世界だ。
大人からは見えない世界を子どもは見ている。
大人が気にも留めない物を見つたりする事がしょっちゅうある。
小さい子どもは「ねえねえ、これ見て」と道ばたに落ちているものを拾うことが好きだ。
つい、やめなさいと言ってしまうが、
子どもが面白いと思ったものは何の観念もついていない。
それがなぜ「だめ」なのか「やめなさい」なのか分からない。
ただそこに落ちていた、いびつでおかしな石ころなのだ。
ただそこにあった、不思議な色をした自転車なのだ。
それが子どもの心のみずみずしさだ。
子どもの見ている世界ってどんなだろう。
・・・
・・・
・・
一人用優先席!?
ポツンあった優先席。
関東ではなかなかお目にかかることがない。
娘が旅先の京阪電車でたまたま見つけて、
一人用の席がかわいらしくて、面白くて、二人でワハハと笑ってしまった。
娘に言われるまで全然気づかなかった。
子どもの心がうらやましくなった。
私たちが過ごしている生活のがいかに早いことか ──。
当たり前に見ているものから「面白い」と思えるものを探すっていいなと思う。
そういう時に感性が磨かれるのだと思う。
生きると言うことは、
どんどん流れていってしまう生活の中から
生活の一部をぐっと拡大して見つめること。