こんにちは。BlissBliss⋆*@テキトーでもうまくいくです。
ついに東京オリンピックイヤーの2020年が幕開けしました!
昨年の漢字一文字は「令」だそうで、「令和」の制定以降「令」の字をそこら中で見る機会が増えました。
平成が終わり、新元号「令和」によって華々しく始まったかと思ったら、台風19号による甚大な被害があったりと。
私の方は初詣に大宮の氷川神社へ行ったのですが、氷川神社は空いている時にしか行ったことないので初詣がこんなに混むとは思わず、人の波にもみくちゃになりながら神社で手を合わせてきたので不完全燃焼です。
それより、参道から境内まで人・人・人でごった返す人の波を、スピーカー一つでまるで「羊飼い」のようにうまく誘導する警察に感心しきり。
さて、
2020年早々に、仏教の最高傑作である「般若心経」の超現代語訳として絵本感覚で読めるこちらの本を手にしました。
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般若心経と聞いてああ、あれね、と分かった人は鋭い。
法事の時などに一斉に「ぎゃ〜て〜ぎゃ〜て〜」と読まされるアレのことです。(なぜか「ぎゃ〜て〜」のところだけ良く覚えているのよね。)
一般の人にとって般若心経なんて、お寺などで読んだことがある「何だかよく分からない経典」、ぐらいの認識だろう。
「生きて死ぬ智慧」は端的に言うなれば、いにしえより仏教の多くの宗派で受け継がれる「般若心経」を、現代の解釈で分かり易く解説した本、と言いましょうか。
パラっとめくってみると魔法がかかったようにスラスラと心に入ってくることに驚くはずだ。
本自体も絵本のように薄い。
本はとても薄いけど、読んだ後に胸がいっぱいになり、目頭がキューっと熱くなった。
般若心経の圧倒的な「救い」がそこにあったからだ。
俳人としても活躍されている柳澤氏と、日本画家の堀文子氏の絵によるコラボによる奇跡の一冊だ。
般若心経は「真理」のエッセンス
いわゆる「般若心経」は今から2000年ほど前、「般若波羅蜜多心経」と呼ばれる600巻もあった仏教の経典をギュッと262文字に凝縮させたものであり、当時の言葉で「宇宙の法則」が抽出され書かれていると言われている。
日本では般若心経が身近な存在ゆえに、読み手側の解釈によって全く異なる捉え方をされる存在でもある。
私は、般若心経を知りたいとこの手の本を手に取る人は三通りいると思っている。
「分かっている人」と「分かりたい人」そして「それ以外の人」だ。
般若心経を仏教の経典の一つと捉えて、法事の時にお坊さんから受ける「お説教」になぞらえてありがたく読む人もいるだろう。
仏教の経典とか教科書のような認識で読んでも全然OKだし、無心になって声に出して唱えながら読んでもOKだ。
でもその「意味」をその辺の本屋に売っているような「生き方の教え」みたいなものだと思って読むのとでは全然違う。
だけども、前者の「分かっている人」や「分かりたい人」は、もっと本質を知りたいと思って般若心経に触れる。般若心経がただの「経典」とか「教え」ではないということを知っているからだ。
(私はどちらかというと「分かりたい人」なので、前者の「分かっている人」になりたくて本を読んだり、コソコソとメソッドを続けている。そもそも「真理を分かりたい!目覚めたい!」という気持ちこそが分かるための大きな障壁なので、その気持ちすら捨てたほうがいいんだけどね。)
般若心経の真髄とは何なのか
般若心経でもっとも有名な一節があるとしたらおそらくここだろう。
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般若心経はところどころに美しい「対句」で世界のアレコレを極力シンプルに表現する。
ヘタな美麗字句で並べるよりも美しい。
「色はすなわち空なり (一切の形あるものが、そのままでありながら何もない)」
「空はすなわちこれ色なり (何もないことが、そのまま、形あるものにを現出している)」
これをたった「色即是空」「空即是色」の8文字で表している。
ヤバイ…なんて美しいんだと、じ〜ん。(感動中)
柳澤氏の視点ではこう訳されている。
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色 即 是 空
空 即 是 色
お聞きなさい
私たちは 広大な宇宙のなかに
存在します
宇宙では
形という固定したものはありません
実体がないのです
宇宙は粒子に満ちています
粒子は自由に動き回って 形を変えて
おたがいの関係の
安定したところで静止します
唐突に出てくる「粒子」とか「宇宙」とかの言葉に説得力があるのも、著者が生命科学者というバリバリ理系畑に生きてきたからだろう。
科学者として米コロンビア大学など著名な大学で研究に勤しんでいた柳澤氏をある日、猛烈な吐き気と頭痛で体が動かなくなる原因不明の難病が襲う。
病気の再発とともに歩くのさえ困難になり、ベッドから体を起こせるのは月にたった2週間だけ(!)という先の見えない寝たきり生活を送ることになる。
病気によって研究の一切を諦めなくてはならず、毎日襲ってくる辛い体の症状もあり、「絶望」なんて言葉ではとても表せないほど過酷な日々を送ったに違いない。
生命科学者として「命の起源」を研究していた柳澤氏が、命を削るような長い闘病生活の中で、奇しくも命の起源を見つめていく使命を与えられた。
本を書いた当時(2004年)に「闘病歴35年」と言っておられるので、現在でもその苦労はいかばかりかと察する。
おっと、ここで般若心経の話に戻ろう。
今ではすっかりスピリチュアル系カルチャーで良く聞く「空(この世は幻想で空っぽ)」とか「非二元性(自己他者はなく全ては一つ)」の概念だけど、本来はすごくシンプルなことを言っているはず。
解釈一つを取っても、私たちは何かの対象に置き換えて、形あるものとしてその概念を捉えようとしてしまう。
現代語による解釈なども、そこに新たな「観念」を生み出してしまう怖さも秘めているのだけど。
般若心経の伝えたいことはある一点のみに集約されるのかもしれない。
…
南 無。
以上!
本当にそれしか伝えていないんだと思う。
今まで自分が生きてきた証とか、誰は成功しただとか、地球は丸いとか、どこかで戦争が起こっているとか、世界のぜ〜んぶ、森羅万象は「般若心経」の262文字で説明できてしまうし、
その262字でさえ一言で表すなら「南無」それのみだろう。
この世界は幻想で本当は空っぽなのだから。
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「なり方」よりも「あり方」を知る本を選びたい2020年
昨年は色々な本を読んできて、その中には「何これツマンネ」と、途中で読むのをやめたほど内容の薄っすい本もあったし、心を揺さぶられて読み返したこんな本もありましたっけ。
今や新刊のほとんどがビジネス書とか自己啓発本で、勢いのあるそれらの新刊も読んでみたけど、個人的に”ササる”と感じたものは「本質」に触れる本だと実感しています。
小手先テクニックを伝える本はたくさんあります。
それを証拠に、Amazonの売れ筋ランキング上位の本は、情報の荒波の現代社会を迷わず進んでいけるようなパワフルな本が多い。
しかし、何か新しいスキルを手に入れて前へ進め!というスタンスは、もっと欲しいという欲やこのままではいけないという不安を刺激し続けてしまいます。
今の自分は何か不足している=「足りない病」になると、今自分にどれくらいガソリンがあるのかも分からないままアクセルを踏み続けるようなもの。
昨年は私も「足りない病」の罠に何度もつまづきかけたので、そのスタンスをやめる決意をして、もう一度原点に帰ろうと思った年でした。
「もっと!もっと!」「今のままじゃだめだ」こんな満たされない感情になってました。危ない危ない!
何かになろうとするのではなく、「すでにあるべき充足の姿」に心と体を整えるスタンスでありたいと思ったので、マインドフルネス系の本をいろいろ目を通しています。
とくに最後の「生きて死ぬ智慧」によって、私の般若心経への探究心の扉が開かれてしまったようなので、新年早々、しばらくは般若心経の本を漁りまくることになりそうだ。
本はあなたの心を豊かにして知見を深めるだけでなく、外の世界との広がりも豊かにしてくれます。
今年もいい本に出会えますように。
そして、
✨✨✨✨生きとし生けるものが幸せでありますように。✨✨✨✨
ではでは。