テキトーエレガンス

テキトーでも人生うまくいく!

いつも人と比べて嫉妬してしまう人、ちょっと読んでほしい。


こんにちは。BlissBliss⋆*@テキトーでもうまくいくです。

私たち日本人は、常に体面を気にして周りの目を意識しながら自分を振り返るという、「個人主義」の国が多い世界の中でも独特な社会感覚を持っていることが知られています。

特に私たちの親の世代が言う「世間体」って言葉に、この辺の「周りの世間より少しでも良い生活をしていると思われたい」気持ちが顕著に表れていると思います。

そのせいかは分かりませんが、「お姉ちゃんに比べてお前はどうしてできないの?」と悪気もなく自分の兄弟・姉妹、同級生と比べられてきた人の話はよく聞きます。

私も小さい頃、祖父から事あるごとに近所の同級生と比べられて育ってきました。

一つ下の弟がいますが、不思議と弟と私は比べられることはなく、その代わりに近所に住んでいた同級生のリエちゃんがその対象でした。

可愛い孫の同級生が近くに住んでいれば、どうしても自分の孫と比べてしまうのは自然なことですが、ご近所同士の家の中の事をなぜかみんな知っている田舎特有の事情もあり、比べっこはどんどんエスカレートしていきました。

リエちゃんと私のお互いの成績はもちろんのこと、中学に入学したときはどちらが高価な自転車を買ったか、どんな部活に入ったかなど、比較対象はあらゆるものに及びました。

お互い成人しても祖父による「リエちゃんとの比べっこ」は止まず、「リエちゃんは就職して〇〇万円も貯金があるそうだ。それに比べてお前はなんだ、ちっとも貯金が出来ないじゃないか。」といった具合で私が家を出るまで延々続きました。

・・ゾッとしますよね。

人と比べられることが日常化しており、それに疑いもなく当然のように育ったので「人と自分を一旦比べられてから自分を見る」という歪んだ見方が身についてしまったのです。

この考え方が本当にヤバいことだと気づくまでにかなりの時間がかかりました。

どのくらいヤバいかというと、この見方は後の生き方に影響を与えはじめ、ひいては自尊心が根底からグラグラと揺さぶりをかけられ、社会が歪んで見えてしまうほど暗〜い影を自分に落とすことになります。

しかも当の本人はその見方が歪んでいることに気づかないから怖いのです。

例えるなら、曇ったメガネを一生かけ続けるような救いようのない虚しさ…。

いくら比べても自分は満たされない

嫉妬
犬と猫が比べっこしても仕方ないのにね。
Photo by StockSnap

あの人より上手くなろう、あの人より良いものを持とう、あの人より・・

大人になりすっかり「比べっこマスター」となった私は、身近にいる人をターゲットにしてその人より自分が優れているかに情熱を燃やすことになります。

その場で一番じゃなくては嫌で、

「自分が良ければそれで良いんじゃないの?」「自分は自分!」なんてアドバイスは到底理解ができません。

人からもっとよく見られたい─その欲望は正常な判断を狂わせ、見栄をはって不相応な物を買うことに躊躇しなくなったり、しまいにはウソをついて自分を大きく見せようとしていました。

あの人に負けたくないと競うように服やコスメなどを買い集め、いつしか自分によって不要な物ばかりに囲まれていきます。

全くもって意味のない独り相撲は、心にくすぶり続けていた人に負けたくないという感情「比べっこ」が引き起こしたものです。

心の中にある、ほんのわずかなバチバチっとした発火に振り回され、結果として買い揃えた服やバッグ、コスメや美容などに浪費してしまいました。

・・もうお気づきでしょうが、人と比べることは終わりがありません。

あの人より、誰よりも良いものを、とそれだけでは満足できず更にエスカレートする一方だからです。

比べる対象も無限にあります。家柄や容姿など生まれ持ったものは変えることは出来ません。

世の中には生まれ持ったものを存分に生かしている人がたくさんいます。

しかし自分はそれが出来ない、と知った時。

変えることが出来ないものを嘆くようになるとどうなるか─。

自分は劣っていると強く感じながら、人生そのものが虚しく思えてしまうのです。

これじゃあいつまでたっても心から満たされることはありませんよね。

嫉妬の裏には傷ついた心があるのだと知る

嫉妬
Photo by lisa runnels

そもそも、なぜ良くないことと分かっているのに嫉妬をしてしまうのか、人と比べてヤキモキしてしまうのが抑えられないのか。

この答えを探そうと探し回っていたある時、「嫉妬」についての考察がすごく分かりやすく書かれた本がありました。

『小さなことに左右されない 「本当の自信」を手に入れる9つのステップ 』や『女子の人間関係』など揺らぎやすい女性の心に寄り添った本を数々執筆している精神科医の水島広子先生は、ある著書の中で

このように人と比べることで自分の価値を見出そうとする嫉妬を『優劣関連の嫉妬』と呼び、

「嫉妬してしまうのはその数だけ自分も誰かと比べられて傷ついてきたからだ」と述べています。

子供の頃から常に誰かと比べられてきたりすると「他人からの評価」がそっくりそのまま「自分自身の評価」になってしまう。

周りの大人によって、他人目線からの評価が繰り返されることにより自己肯定感が健全に育たなくなり、大人になったとしてもそのクセが抜けなくなる。

自分がされてきた評価のモノサシで常に自分と他人を測りながら生活するのはシンドイ・・。

現に私も、他人と自分を比べる評価のモノサシが大人になった今でも抜けず大きな足かせとなっているのは認めざるを得ません。

じゃあどうしたらいいのだろう─。

そもそも子供の頃に形成された性格って変えられるの?

嫉妬を「醜い」と感じるのをやめて受け入れる

その上で、水島先生は「嫉妬をプラスに利用していくためには自分の傷や自己肯定感の低さを認めるところから始める」と伝えています。

子供の頃からそれだけ傷ついてきて自己肯定感が低いから、優劣を考えてしまうクセが自分にはあるのだと、そっくり認めちゃいましょうってことです。

そもそも自分の性格なんてコントロールできず、自分で性格を決めて生まれるわけではありません。

嫉妬しやすくなってしまったのもあなたのせいじゃなく、育っていく過程で自分でコントロールできなかったことなので、仕方なかった、そうなるしか自分を守る方法がなかったと言えます。

私のせいじゃないんだ、と思うだけで楽になれます。

嫉妬を感じさせるものをシャットアウトする

嫉妬

嫉妬をしてしまいがちな人って他人の言動などがすぐ目に入ってしまいます。

友人の自慢話や楽しそうなSNSを見るとモヤモヤ─SNS時代の今はボーッとしているとすぐ他人のライフスタイルが自分の目に入ってきてしまう難点があります。

どうやって折り合いをつけたらいいのか。

そこで水島先生は「心のシャッター」を挙げて、嫉妬を感じさせるものをシャットアウトすることを勧めています。

シャットアウトとは、嫌だなと感じたら見ないようにするということ。

「心のシャッター」を下ろすことは相手を閉め出すことによって自分の癒しの空間を作ることであると伝えています。

自慢話をしてくる人から離れることができなければ、右から左へ聞き流して「おうむ返し」をして徹底スルーする方法などもあります。

とは言え友人をシャットアウトするのは難しいので、嫉妬をしてしまったらスッと離れる。そしてまた頃合いを見て戻るを繰り返して気持ちをコントロールしていけば、嫉妬を感じてしまう友人とも良い関係を保てるとのことでした。

言われてみれば、嫉妬をしてしまう対象って「友人」だったり「職場の同僚」だったり案外近くにいる人ですよね。

「自分と立場も収入も同じぐらいの人」ほど近くにいるから比べてしまうのが人のサガでしょうか。

物理的に縁を切るわけにもいかないし、そもそも時々イラっとしちゃうけど友人だし、って関係にこそ、時々「心のシャッター」を降ろして自分を守ることが必要だと感じました。

シャッターを下ろしたら「今はこれで良い」と感じてみる

何かを見聞きして嫉妬を感じてしまったら「今はこれで良い」と感じてみることだと言います。

相手が自分より優れていると感じたところで、じゃあ自分の生活が脅かされているかと言ったらそうではありません。自分は「まあ大丈夫」なはずです。

心のシャッターを閉じたら「今はこれで良い」「まあ大丈夫」と自分で癒しをつくる。

この方法を繰り返すことで、ちょっと自分より優れた人を見たりすると条件反射的にすぐ反応していた心が次第に柔らかくなり、そして「自分は自分で問題ない」と考えられるようになりました。

結果として自分を守れるようになったのは大きいです。

他人がいないと自分が見えなくなっている

ここからは私の考えなのですが、嫉妬してしまう人は、おそらく他人を自分を写す鏡として他人を見るのが当たり前になっているのではないかと。

他人=自分を写す鏡なので、他人がいないと自分がどんな服を着ているのか、自分が何が好きで何が嫌いなのかとか、自分のあらゆるものが見えにくくなっている。

上記の水島広子先生の本を読んで自分でふと得た気づきと言いましょうか、ああそうだったんだ!と合点がいったせいか気付いた時は目からウロコが剥がれる思いでした。

嫉妬しやすい人って、他人という比較基準がなくなると自分が見えなくなっちゃうので、何が本当は好きだったのか自分は何をしたいのかが分からなくなります。

これも実体験なんですけどね。

いざ、比較対象になる周りの人から遮断して、自分一人になった時に初めて本当の自分が見えてきました。

勝手に自分が好きだと思い込んでいたことが実はそんなに好きではなかったと知ったり、

蓋を開けてみれば他人と張り合うためだけに買っていただけで、そんなに好きじゃなかったもので溢れていたり。(←これ!)

これほどまで、他人から見られてどうかばかりを気にして生きていたんだな〜と愕然としましたよ。

自分は自分だ!なんてエラソーなことを言っておきながら、生活の基盤はちゃっかり他人基準でした。

そんな自分を認めて受け入れたので、少しずつ他人からの評価を手放して断捨離をしているところです。

↓ ↓ ↓『「ドロドロした嫉妬」がスーッと消える本』オススメです↓ ↓ ↓

↓ ↓ ↓水島広子先生の自己肯定感に関する本もぜひ。↓ ↓ ↓

私たちは普段、喜怒哀楽いろいろな感情を感じていますが、その中でも「嫉妬」って最も人に言いづらい感情じゃないかと思うんです。

嫉妬を感じることが恥ずべきことだし、抱くことそのものが醜いと心のどこかで感じているからです。

だから嫉妬が絶対に人目に触れないように心の奥底にギュウギュウと押し込んでしまうし、嫉妬を感じていることを少しでも周りに悟られたくないのがホンネなんです。

冒頭の通り、比べっこの中で育ってきたからなのか元からの性格なのか、嫉妬しやすい自分の性格を認めているので、少しずつ改善を図っているところです。

人と比べてしまう自分を認めて、ゆっくり「比べない」生き方にシフトしていきませんか?

ではでは。