テキトーエレガンス

テキトーでも人生うまくいく!

自信はなくていい。いつも誰かと比べてしまう一人相撲から脱出したい人へ。


人と比べてしまう

こんにちは。BlissBliss⋆*@テキトーでもうまくいくです。

社会生活の中で生きる私たちは毎日何かしらを人と比べて生きている気がします。

スマホのニュースや広告を見ても射幸心を煽り心に揺さぶりをかけてくるワードがズラリ。

「勝ちパターン」「勝ち組」「負け組」「差別化」「ワンランク上の」「えっ?私の年収これだけ?」…

いろいろな人のライフスタイルから持ち物、さらに思考まで何でも目に入ってしまう今の日本は、毎日何らかの”比べっこ”を強いられている生活を余儀なくされていると言えます。

比べていくうちにどんどん自信がなくなり消耗していく・・

こんなスパイラルから抜け出すにはどうしたらいいのでしょうか。

私自身、周りの人と自分を比べてすぐ張り合おうとするソンな性格だったのですが、あるときに無限に勝てない一人相撲に疲れ、その習慣を手放したことで、すっかりラクになり今は比べることもなくなりました。

抜け出すにはまず、人と比べっこしやすい人が持っているであろう、特徴的な捉え方について考えていきたいと思います。

「こうだったらいいな」の理想はあなたを苦しめる

理想はあなたを苦しめる
猫はチーターになれないものね…

お金もなくても人生に満足して心穏やかに暮らしている人もいれば、ステータスもお金もルックスも獲得して世間的には大成功していても心が満たされない人もいる─ この差は何なんだろうと思ったんですね。

あんな生活を送れたらいいのに・・😩

あの人みたいだったらいいのに・・🙄

少し目線を上げるとそこには自分より素敵な生活をしている(ように見える)人がいっぱい。

普段私たちは誰かを見て羨ましい!いいな!と思うと、その度に羨ましい感情をグッと心にしまい込む習慣があるようです。

羨ましい気持ちが保存される度に、それがミルフィーユの「層」のようにうず高く積み重なり、やがて巨大な「こうなりたい理想の壁」となって目の前に立ちはだかります。

どうだ!この壁を超えると超理想の暮らしをしているリア充になれるぞ!超えてみろ!ってな感じです。

何年も積み重なった壁なのでちょっとやそっとでは崩れないし、まして飛び越えることもできない壁。

壁を前にこんなストーリーが思い浮かびます。↓

私はその壁の後ろに立ち、はるか下から壁を見上げたままこう誓った。
「いつかあの壁を乗り越えて上から下の人たちを見てみたい!みんなに自慢できるような生活をしたい!もっと良い物を持ちたい!もっと!いつか…」

そうやって何十年もそこに立ち続けているのであった。
〜 THE END 〜

こんな救いようがないストーリー作り上げたのは自分自身です。

ちっとも満たされないのは、自分が作ったその「理想の壁」のせいかもしれません。

どんなに高収入になろうとも、どんなに美しくなろうとも、その度に壁はあなたの位置より「ちょっとだけ高く」積もります。

つまり永久に超えることができないようになっているのです。

自分だけが心の中にこの壁を作っているので当然周りからは見えません。

何それバカみたい。アホくさ!と一瞬でも思えたらもう壁に穴は開いています。

今まで無意識に気づきあげてきた「理想の壁」を認め、もう要らないと心の決めてその壁の前を去る決意をしましょう。

人と比べるのをやめよう。あなたは最初から負けている。

猫
比べるのをやめるとラクになる

理想の壁は「何かと比べる」たびに積み重なって高さを増していきます。

比べると余計高くなるなら、最初から比べず自分の負けを認めてしまうこと。

負けを認めれば壁を乗り越えなくても良い。

やめるには自分は最初から負けていると認めて、何の勝負にも参加しないことです。自分は最初から負けているとさっさと白旗を降っちゃうことです。

勝負に参加しないことで、他人と自分との違いをスッと受け入れることができて自分と他人との間にピーっと線を引かれます。

自分と他人との間に境界線を意識すると周りのことに振り回されなくなります。

・「隣の芝生は青く見える」→ うちの芝生は茶色いけど、だからと言って何も問題ない。

・「親友が結婚するらしい。幸せそうで羨ましい。」
→ すごいな〜と認めて素直に喜べる。

・SNSで知らない誰かにネガティヴなことを言われた!
→まあ世の中にはそういう人もいるよね〜と忘れることができた。

自分は最初から負けているし当然勝ってもいない、

これは最初から上の位置に立ったと想定して優越感を味わえということではなく、最初から負けていると認めてしまうこと。

そう、自分は最初から劣っているし、無知で何も知らないし、バカなんです!

最初から負けているんだと思っていると、あらゆることが中立でニュートラルな存在に見えてきますよ。

何かを始めるにあたっても自分は知識ゼロなんだと思って勉強すると身につきます。

自分より若手で経験豊富な人に教えてもらう時も、何も知らないので教えてくださいと謙虚な姿勢で教えを請うことができます。

今まで頑なに守ってきた自分の”経験則”や”こだわり”が思い込みに見えてきて、逆に今までは見向きもしなかったような新しい知識が増えるてくるかもしれません。

人は平等ではないと認める

不平等
世の中けっこう不平等。

なぜ人と比べてしまうんだろう、あの人のようになれないんだろう、

なぜ?

私は、いつまでも他人基準で自分を見てモヤモヤしてしまう気持ちの元凶には「みんな一緒・みんな平等」というベースがあるからだと思います。

他人と自分は一緒・平等だと信じているからちょっとした違いが目について比べてしまうのです。

日本に住んでいると特に、肌色はもちろん、髪や目の色も一緒で受ける教育も信仰・信条も似た通ったかの中で育っているせいか「みんな一緒であるべきだ」という考えが強化されていくんですよね。

すごく日本人的と言いますか、横ならびで画一的に捉える。

よく見ると一人一人は容貌から性格から能力まで何から何まで違うのに、いつの間にか「みんな一緒のはずだ」と刷り込まれてそれが生活パターンの隅々まで染み込んでいる。

でも実際はお金持ちな人、貧しい人がいるように世の中は不公平で理不尽なことの方が多いのです。

世の中は不平等なのです。

世の中不平等だと割り切っちゃえば「人それぞれだよね」と他人のことを客観的にみることができ、他人が羨ましく見えたりズルいと思ったりしなくなります。

他人と自分はみんな違うと思えば「私は私、他人は他人」のラインがしっかりしてくるので、異質なもの通しを比べる、なんて意味のないことはしなくなります。

世の中が不平等だからこそ、誰でもない「私」だけが幸せになる方法が見つかります。

地位や名誉、美しさや若さ、美男美女のパートナー、高級品や素敵なお家… 手に入りさえすれば幸せになれると言われていることは、必ずしも全員を幸せにするわけではないからです。

狭くて散らかっている部屋で一人、何かに没頭することで幸せも感じる人もいるし、見た目は・・なパートナーだけど幸せな人もいる、お金がなくても幸せな人もいる。

幸せかと聞かれたら開口一番「幸せですよ!」と返ってくるでしょう。

彼らに共通するのは自分の在り方や生き方を否定しない、つまり「自分を認めている」ことであると思うのです。

私たちは比べられて育ってきた

猫と犬
そう言えばいつも誰かと比べられて育ってきた Photo by No-longer-here

そもそも、無意識に人と自分を比べてしまい張り合ってしまう人って、幼少期の頃にいつも誰かと比べられる環境にい流うちに、比べることが考え方のベースになってしまったのでは思うんです。

私もそうだからです。

子供の頃、近所にとても仲のいい幼なじみが住んでいたのですが、私の祖父は私と幼なじみを比べては「〇〇ちゃんはこんなに勉強ができる、だからお前も頑張れ!」と私にハッパをかけていました。

比べっこはお互いが成長してやがて成人しても続くことになりました。

祖父の比べる対象は勉強ができるできないのレベルからお互いの収入や能力、貯金額にまで及び、〇〇ちゃんは年収がいくらあって貯金がいくらある、と私に伝えてくる有様でした。

常に比べられる状況にいたせいか、人と自分を比べることで良し悪しを判断する習慣が自然と身についてしまい、社会に出てからこの悪習に苦しめられることになったのは言うまでもありません。

親や周りの大人というものは少なからず子供を比べてしまうものです。

・テストで〇〇点を取ったなんてスゴい!
・作文で賞を取ったの?スゴい!
・駆けっこ1位なんて凄いじゃない!
・親切で思いやりがあってエライね!
・いつも元気で明るい良い子!

優れているところを見つけようとして、これがあるからあなたはエライ賢いと何かの成果や成績=条件付きで子供を褒めてしまいがちなのです。

学校の先生が褒めてくれるのは何かの成果をあげたり何かの課題を頑張ったことであり「評価」なんですよね。

条件つきで子供を評価してしまうと、その条件が達成できなかった時に「自分」が無くなった気がして傷ついてしまうかもしれません。

逆に、成績が悪かったり何の賞ももらえなかったり元気でもなく明るくもなかったら、どうしてうちの子は出来ないんだろうと悩みの種になるんですよね。

子供にはもっと自信を持ちなさいと言ったところで、これじゃあ子供に自信なんて芽生えませんよね。

あなたはそのままで素晴らしい…無条件の愛情が大切だと心の中では思っていても、実際には兄弟や同級生のと比べてしまうのがホンネと言ったところでしょうか。

親世代がそのまた親から無条件に褒められたことがないので、ありのままの子供を褒めて良いのか分からないのかもしれません。

他人が幸せに感じること ≠ 自分が幸せに感じること

自分も他人も同じはずだ、という信条は大きな勘違いを生み出します。

他人がうまくいったんだから、私だってあの通りにすればうまくいくはずだ。

ブームでみんなやっていることだから私もやった方がいい。

周りの友達は早々に結婚しているし、私も早く結婚して素敵なおうちに住みたい!

他人が幸せだと思うことをすれば、手に入りさえすれば、自分も幸せになるに違いないと思ってしまうからです。

あの人が成功した方法を自分がやっても成功しないかもしれません。

みんなやっていることをやったからと言って満足を得られないかもしれません。

他人と自分を同一視してしまうと困ったことも起きます。

誰かの真似をして誰かの通りにやってみてうまくいかなかった、だから自分は劣っている人間なんだと思ってしまうのです。

もしペンギンとして生まれたとして、タカのように空を飛ぼうとしてもおそらく無理です。

カレーライスがスパゲッティの味付けに変えようとしても…難しいでしょう。

ペンギンと鷹、カレーライスとスパゲッティはそれぞれ全く異なる存在なのです。

だから誰かのやり方を真似てみて出来なくても当然なのです。

あなたはあなたのままでいい ─本当の自己肯定感はユルい。

自己肯定感
あなたはあなただけの人生を生きよう。

最近の本を読むと「自己肯定感」というフレーズがよく出てきます。

「自尊心」と同じようなすっかりおなじみの言葉としてすっかり定着しているようです。

私もずーっと長い間、この自己肯定感がある人は自信たっぷりで恐れ知らずだ、自己肯定感つまり「自信」を持てさえすれば、立派で強い自分でいられるはずだと信じていました。

自己肯定感=自信やプライドだと勘違いしていたからなんですね。

でも実際は、自己肯定感はいわゆる自信やプライドとは全く異なるものでした。

じゃあ本当の自己肯定感って?

精神科医として女性に寄り添ったメンタルケアの本を書いている水島広子先生は、著書『小さなことに左右されない 「本当の自信」を手に入れる9つのステップ』のなかで、「自己肯定感」の世間一般的なイメージは、努力して築き上げるものといった誤ったイメージがあるとしてその危うさに触れています。

水島先生の言う本当の自己肯定感とは、他人の基準や評価に振り回されることのない、”あるがままの自分(Beの自信)”を認めること。

私も「本当の自信」を考えるようになってからさまざまな成果や能力を手放していき、自分にはこんな能力があるからスゴいに違いないといった過度な自信をやめ、苦手なことだったりみんなと同じように出来ないことを認めていきました。

そのままの自分を肯定していくうちに居心地の良さを感じるようになり、これこそが本来の自己肯定感なんだ〜!と実感しています。

ベースには一言で言うなら、

出来てもOK!出来なくてもOK!

人生失敗してもOK、ズルくてもOK、あれが苦手でもOK、得意でもOK、朝起きれなくてもOK…

あなたがすること全部それで良いのです。

要は好きなことをしていればOK。オールOKのマインドということになるでしょうか。

まず、比べる脱出の第一歩として「全部認める(オールOK)」ことから始めましょうか。

いつも誰かと比べてしまう自分であってもOK。今日も比べちゃったけどOK。と、行動や言動に制限をつけず、何でもかんでも全肯定していきます。

やがてオールOKの意識が身についてくると、人と比べることに何の意味もないと分かってくるので自然に収まってきます。

気がつくと誰かと比べたり張り合おうと躍起になる機会がめっきり少なくなっているはずです。

いつもありのままの自分を認めているので誰かとの衝突やストレスがみるみるなくなってきますよ!

そんなの私の知っている自信の持ち方じゃない!とお思いでしょうが、自信は作るものでも築くものでもなく、「存在そのもの」だからです。

だから形がなくふわふわ脱力しているように見えても、どんな状況にあっても「何とかなるっしょ」とへこたれず、ドッシリと構えていられる圧倒的な強さがあるのです。

↓以前記事にも書いたのでぜひ。

www.tekitou-bliss.com

まとめ

\ ゆる〜く生きていくために /
理想や羨望は自分の前に超えられない壁をつくるだけ
自分は最初から負けていると認めよう
そもそも人は不平等なもの
他人が良いというものを手に入れれても自分も幸せになるとは限らない
自身やプライドを持つのではなく、ありのままの自分を認めること

今まで必死で守ってきたニセモノの「自信」がガラガラ音を立てて崩れてしまいますが、その下からしなやかで強い本当の自信が芽生えてくる、そんな良本です。