テキトーエレガンス

テキトーでも人生うまくいく!

人は絶望からどう立ち直るのか。全身火傷から復帰した元レーサー太田哲也さんの生き方


こんにちは。Bliss(@Bliss_Blink)です。

モータースポーツの祭典「SuperGT」の第3戦が今年も鈴鹿サーキットで開催されました。

隠れモータースポーツファンの私ですが現地に行けなかったこともあり、エアコンの効いた自宅から”推しチーム”に熱い声援を送っていました🤗。(その日は気温30度🔥を超えたおかげで昼間は一歩も外に出れず…。)

前回のGW真っ只中に富士スピードウェイで行われた第2戦はあいにくの雨模様からのスタートで、一時はゲームの中断もありましたが、第3戦は暑いくらいの好天気に恵まれレース終盤まで雨も降らなかったので良かった〜!

ちょうど21年前のGWにモータースポーツファンには忘れられない出来事がありました。

「5月3日雨の日の富士スピードウェイ」と聞いて1998年に起きた多重クラッシュによる爆発炎上事故のことを思い出す人は今どれほどいるのでしょうか。

ふと思い立った私は、この多重クラッシュ事故で瀕死の重傷を負った太田哲也選手の手記を読んでみることにしました。

太田氏の手記は合わせて2冊。事故から壮絶なリハビリを語った手記「クラッシュ―絶望を希望に変える瞬間」と、リハビリからレース復帰まで語った続編「リバース ―クラッシュ(2) 魂の戻る場所」です。

表紙はフェラーリを彷彿とさせる真紅一色で、しかしその鮮やかさをまるで吸収するかのように冷たく焦げたヘルメットが置かれています。

このヘルメットは太田氏が多重クラッシュ事故当時に身に付けていたヘルメットでした。目を保護するはずの耐熱シールドはドロドロに溶けてフチに黒く焦げ付いており事故の衝撃さを物語ります。

耐熱のはずのヘルメットをこれだけ焼き尽くし変形させた”多重クラッシュ事故”の凄まじさとはどのようなものだったのでしょうか。

奇跡の生還。しかし待っていたのは地獄の日々だった

1998年5月3日。富士スピードウェイで開催された全日本GT選手権の第二戦はあいにくの雨のスタートとなりました。

雨で天候が悪化したことでサーキットは濃い霧に包まれ、さらにレースを走行するレース車両によって巻き上げられた水には視界を遮ったことで、著者である太田哲也選手の乗るフェラーリF355は、先にコースから外れて止まっていたポルシェに衝突し爆発炎上。フェラーリは一瞬にして灼熱の炎に包まれてしまいます。

(イメージ写真です) Photo by Pexels

その時、別のチームの車に乗っていた山路慎一選手が炎に包まれた太田選手のフェラーリの消火に向かいますが、救出された太田選手の変わり果てた姿に場内は静まりかえり、誰もが生存は絶望的だと感じたそうです。

懸命な治療の末奇跡的に一命を取り止めたのですが、顔と体の40%の範囲に最重度の火傷(熱傷)を負った太田さんにとってそれは長く苦しい治療の始まりとなりました。

火傷によって自分の”顔”を失う悲劇

人間生きていれば逆境や苦境に立たされることは沢山あるけど、”絶望”はまず直面しない─。

逆境や苦境は多くても”絶望”をそうは経験しないだろうと語ります。

太田さんは事故以来初めて自分の顔を鏡で見ることになるのですが、熱傷によって自分の顔は激しく崩れ、鼻や眉毛はなくなり、鏡の前に映るのは太田さん自ら「泥人形」と例えたように自分ではない”何か”があるだけでした─。

レース復帰に向けてリハビリに励むどころではなく、それ以前にまず自分の”顔”を取り戻し、動かなくなった手足を元どおりにして「人間」に戻ることなのだと悟り愕然とするのです。

フェラーリを自在に操る花形レーサーの自分の姿はなく、ベッドの上にいるのは手足を縛られて悪態をついては看護師を困らせる「ただの大ケガ人」と揶揄する情けない自分。

火傷によって顔が崩れてしまった事実を到底受け入れることはできず、砕け散った”自分”というピースを一つ一つ拾い集めていくような、気の遠くなる作業を目の前にした時の絶望をいかばかりでしょうか。

専門病院で繰り返し行われる皮膚の移植手術だったり、並行して行われる顔の再建手術が続く中、ある日担当医からリハビリの中止を告げられてしまいます。

目の前に現れた”黒いマントの男”─。男が伝えようとした事とは?

”天からの使者が現れて天国に連れて行かれそうなり、自分を呼ぶ声がして振り向いた途端現世に引き戻された─。”

生死の境をさまよった人が経験すると言われている臨死体験にはある種の”パターン”があるようです。

太田さんも事故のさなかにいわゆる臨死体験を経験した一人でした。しかし、一風変わっているのは目の前に現れたのは天使でも天国にいるおばあちゃんでもなく「黒いマントの男」でした。

黒いマントの男の手を振りほどき現世に戻ろうとした太田さんに「生きることは辛いことだよ」と釘を刺されたことで”死神”に違いないと確信した太田さんは、それ以降黒いマントの男に翻弄されることになります。

夢遊病者のようにエレベーターに乗り、気がついたら最上階にいた。そこから屋上への階段を登っている。
自分の姿を見たあのとき、「これは無理だ」と直感した。
<中略>
社会復帰の可能性もないと思った。それどころか、普通の人間としての暮らしもできないだろう。
こんな顔と体では、人目に触れる場所に出かけることさえできないだろう。
─ 見えない方がよかったもの 病院の屋上 ─ より

絶望に打ちひしがれた太田さんは心に決め屋上へ向かいます。

「これ以上生きていても仕方がない─。」

リハビリ中の足を引きずりやっとたどりついた病院の屋上。そこで見えたものは飛び降り防止のために四方に”鳥かご”のように張り巡らされた鉄の柵でした。

飛び降りは不可能だと確信した彼はそこで崩れ落ちてしまいます。

体の力が抜けて両膝が折れ、つぶれたように尻餅をついた。誰かに心の中を見透かされたような感じがしてきて、「ああああーっ」と、うめき声が喉の奥底から漏れた。
<中略>
どこからともなく、あの声が聞こえてきた。
「生きることは辛いことだよ」
─ 見えない方がよかったもの 病院の屋上 ─ より


イメージ写真

果たして黒いマントの男は本当に死神だったのでしょうか。最終的に太田さんはその死神の正体と退治することとなるのですが、彼の意識に大きな変化が起こり、自分を覆っていた硬いクルミの殻が、その時を待っていたかのように割れてある”クラッシュ”が起こります…。

彼の身に起きたもう一つの”クラッシュ”とは…?それは本書で。

それまでオカルトなことは一切信じなかったという彼に現れた「黒いマントの男」の存在は彼をもう一度立ち直らせる大きな原動力になっていくのです。

恐怖心を克服する方法とは?

太田さんは重度の火傷以外にも、事故のショックから心身に不調をきたす「心的外傷ストレス障害(PTSD)」にも苦しめられることになりました。

事故のシーンを思い出して火を怖がり、道路の雨粒を見ただけでも激しいフラッシュバックに襲われたりと、日常の中の何気ないことで恐怖心を抱くようになったと語ります。

太田さんを一番苦しめた恐怖─。それは「熱傷風呂ねっしょうぶろ」の存在でした。

人間の皮膚は重度の火傷(熱傷)を負うと二度と皮膚が再生することがありません。そのため、火傷した皮膚を健康な部位から取り除く必要がありました。

通常、浴槽の中で行われるその”熱傷風呂”は凄まじい痛みを伴うため、たとえ治療が終わったとしても、ふとした瞬間にあの熱傷風呂の恐怖がよみがえり依然として太田さんを苦しませていました。

レースは自分の恐怖を克服することが重要だ。克服するには正体を知ること。
<中略>
僕が編み出した心の病気を治す方法─。
「本当に怖いこと」と「怖そうに思えるけど本当は怖くないこと」の区別を自分の体に教えてあげることだ。
─ リバース 恐怖を克服する方法 ─ より

太田さんは身の毛もよだつような恐怖心を克服しようと、熱傷浴室の周りをウロウロしたり、実際に浴室の中に入って器具を触ってみたりと、強硬手段に出たことで次第に怖くなくなり、恐怖心が和らいでいったと語ります。

怖いと感じるものは本当に怖いことと”怖そうに思えるけど本当は怖くないこと”の2種類しかない。怖いと感じるものは案外、後者の場合がほとんどで、その虚像を暴いたら実は大して怖くないことを知る。ということを太田さんは伝えたいのではないでしょうか。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉がありますが、これは、幽霊だ!怖い!と思ってよく見たら実はなんてことはない尾花(ススキ)だったという、勝手に恐怖を膨らませてしまいがちな人間の姿をあらわしています。

怖い怖い、と思っているその対象は本当に怖いのだろうか。実は勝手にイメージを膨らませて怖がっているだけなのではないか。

太田さんの行動はちょっと荒治療に見えますが、怖いと感じるものを見たり触れる機会を増やして恐怖心を克服していくれっきとした治療法として「暴露療法ばくろりょうほう」というがあるそうで、太田さんは誰にも教えられずにこの”暴露療法”を実践して、実際に恐怖を克服できたことになりますね。

様々な恐怖に立ち向かいPTSDと向き合い、穏やかな生活を取り戻していった太田さんですが、最後にある恐怖心を克服する必要がありました。

それは再びフェラーリに乗って富士スピードウェイのサーキットを走ること。

復帰後初となる筑波サーキットでの走行の様子では、長く辛かった治療のこと、病院で知り合った人、家族のことを思い出しながら、懸命にハンドルを握ることでレーサーとしての感覚を取り戻していく過程が描かれています。

固く閉ざされてしまった心に届いたものとは?


(イメージ写真です) Photo by skalekar1992

続編の「リバース ─ クラッシュ(2) 魂の戻る場所」では長い自宅療養からサーキット復帰へ向けての心の葛藤がていねいに描かれています。

顔を失ったことで周りの視線が怖くなり、自宅療養の間は自宅から出られなくなる”引きこもり”も経験するわけですが、苦しい今の状況を抜け出す答えを探そうと本を読んでも、どれも太田氏の心には全くと言っていいほど響きません。

太田氏以外にも熱傷専門病棟に担ぎ込まれた”先輩患者”たちがいました。

焼身自殺をしようと試みて自ら火をかぶった青年や、火をつけられて殺されかけた経緯を持つある会社社長など、立場も環境も違う人たちですが、共通するのは、全身に大火傷を負って同じ病棟に運び込まれてきて死の淵を彷徨い、今ここでゼロ地点から人生を再スタートする仲間であること。

それぞれの先輩患者が、生きる意味を見出していく姿を見て太田氏も何らかの生きるヒントを得るのです。

さらに専門病院では医師を含めスタッフの介助なしでは生きていけません。

太田さんの苛立つ気持ちをスポンジのように吸い取ってくれる担当医や、ちょっと厳しいけど心の拠りどころになった”ベティちゃんのようなまつ毛”のリハビリの先生、固く動かなくなっていた右足を怪力でもってバキバキ曲げてくれたという整体師…

そして何より、つきっきりで夫の看病を続ける篤子あつこ夫人と、父親に精一杯寄り添おうと健気に動き回る子供たちによって、自暴自棄になっていた太田さんの心は少しずつ癒されていくのでした。

彼に手を差し伸べる人たちの存在に触れ、感謝をしつつ、本当に心の救いになり復帰へと立ち向かわせたのは家族や友人など周りの人だったと述べています。

生きることって何だろう?

十数回もの手術と懸命なリハビリによって事故後3年ほどでサーキットに奇跡の復活を遂げた太田氏。

その後はカージャーナリストとして活躍しつつ、青年たちに向けた著書「生き方ナビ」を出版。現在ではドライビングスクールを経営したり講演に全国を駆け回ったりと勢力的に活動をされていらっしゃるようです。

生きることとって何だろう─。 生きていくこととは?存在意義とは?


普遍的でムズカシイ生きることの意味について、自らが導き出した答えで本書は締めくくられています。

太田氏の文章がメッチャ読ませてくれて一気に2巻とも読んじゃいました。読ませてくれます。

ゴーストライターは一切使わず自筆で書き上げられたという本書。太田さんはもともと車雑誌の記事を書いていたというものの、その圧倒的な文章力にそちらの才能がだいぶおありになるのではと感じました。

過酷な治療の様子などが生々しく、目を背けたいところもありますが、心の機微や葛藤を繊細にかつ大胆に書ききる描写にグイグイ引き込まれる手記だと思います。

人生のサーキットの上を絶望のスタートから希望のゴール(復帰)へ向かうレーサーの手記…というよりは、絶望の淵からもがいて苦しんで、「黒いマントの男」との対峙して”悟り”に至るまでの心境が変化していく様子は、まるで長い瞑想を見ているような不思議な深遠さを感じます。

いつでも人間の本質は尊い。そんな心が震える本でした。❣️

モータースポーツは実のところサッカーや野球のようなチームスポーツだということはあまり知られていないかもしれませんね。

花形のレーシングドライバー(レーサー)はもちろんのこと、他のスポーツと同じように「監督」と呼ばれるレーシングチームの総指揮を取る人の存在がいることや、レースに向けて車を作り驚異の早さで修理をする「メカニック」と呼ばれる整備士陣がいたりと、各レーシングチームのドラマも魅力に感じるところの一つです。

ではでは。