こんにちは。Bliss(@Bliss_Blink)です。
読書の秋ということで、話題の新作「うつヌケ」を読みました。
まずこのユルい表紙が良いですよね。
表紙では手塚治虫タッチで描かれた人物が何かふわっとした妖怪のようなものを愛おしそうに手にしている─
「うつヌケ」って何のこと?と本を手に取ると、サブタイトルに小さく「うつトンネルを抜けた人たち」と描いてある。そこで初めてタイトルが「うつ」から「ヌケる(抜ける)」という意味なんだな〜と知ることになります。
ってことは、表紙のお兄さんが手に抱えているこの白い妖怪のようなものってまさか・・「うつ」?
表紙はさておき問題は内容。
ふわっとした表紙から、現代人の病「うつ」いや「鬱病 (←漢字で怖さを表現)」を扱うにしてはふわっとしすぎじゃないかと疑問を抱きつつページをめくりました。
あの人はどうやって「うつヌケ」したのか
表紙の通り、全ページが田中圭一さんによるマンガでスラスラと読めまますね。
著者で漫画家でもある田中圭一さんご本人のうつヌケ経験のカミングアウトから始まり、各界の著名な人から一般会社員まで、職業も多岐にわたるうつ経験者たちの「うつヌケ」体験エピソードが描かれています。
しかし何てったってテーマは現代人の最大の病「うつ」。当然内容はそうユルくはなく、ところどころに目を背けたくなるようなヘヴィーな描写もあり。
命を絶ってしまった人、幸いにも未遂に終わった人、
治ったかと思った矢先のぶり返しに翻弄されまくる人、
なかなか「うつヌケ」できず何度ももがいた末、ある些細なきっかけですっかりうつヌケしてしまった人・・
一筋縄ではいかない「うつ」の怖さと複雑さを物語っています。
家族関係がうつの遠因だったパターン
几帳面で責任感が強く真面目。
いつからか、上記の性格パターンが「うつになりやすい性格」として挙がるようになりました。
本書のエピソードに出てくる18人それぞれの「うつヌケ」ストーリーを見ていると確かに。うんうん、どの人も上記のような「頑張り屋」な性格の人物像が見えてきます。
しかし、うつになったきっかけも、逆にうつから脱出できたきっかけも、当たり前でしょうがそれぞれ違うんですよね。↓
うつを発症するほどのド社畜体質になった原因は、厳格だった父との関係にあったと気づいたOLの話・・
家族との関係がうつの原因になっているエピソードが何度か出てきて印象に残りました。
最終的に自分では気づくことのなかった「自分の考え方(認知)のクセ」をカウンセリングやコーチングなど第三者を上手に使って解決していました。
上記のうつヌケ経験者さん達も、自分自身だけの力では到底うつの根本原因を「子供の頃の家族関係にアリ!」と特定することなんて出来なかったはずですし、
なによりうつヌケできなかったハズです。
よく聞きますけど幼少期の家族関係のこじれが原因で、後々の人間関係がうまくいかなかったりすることって多いみたいですね。
こうなっちゃうともう、カウンセリングなどで他人の力を借りないとうつヌケは難しいんでしょうね。
カウンセリングでうつヌケがスムーズに
日本人ってあまりカウンセリングを利用したがらない人が多いと聞いたのですが、
私の周りでも「私のことは私が一番良く知っている」と「カウンセリングとか必要ない」と堅くなにカウンセリングを受けたがらない、抵抗ありまくりの人が多い気がしますね・・。
あれ、何なんでしょうか。
心が弱ったり、偏ってしまった時こそカウンセリングが必要だと思います。
カウンセリングって例えるならあなたを写す鏡となってくれるんです。
鏡を見れば「あ。目にまつ毛が入っていたんだ」と気づいて、痛みの原因(この場合ですとまつ毛)を取り除くことができます。
(まつ毛が刺さったまま一日過ごすとかそんなシチュエーションを想像したらホラーですが・・)
「私のことは私が一番良く知っている!そんなの必要ない!」それはその通りだし分かるけれど、それだと、目がゴロゴロして痛くて仕方がないのに鏡で確認しようとせず、じっと我慢しているようなもの。
それじゃあ自分のことは自分がよく分かっているなんて言えませんよね。
私たちは鏡がないと自分自身を見ることすら出来ません。
カウンセリングってこの鏡だと思っています。カウンセリングを受けることであなたが今何を考えているのか、どれくらい考え方が偏ってしまっているのか、
鏡のようにまるっと写し出してくれる。
鏡の自分自身を見れば、「へえ!私はこんなことを考えているから辛いんだ」と一目瞭然になったりするわけです。
それらの問題点やヒントは、自分でアレコレしようとしたところで、鏡を見ないと分からなかったでしょう。
「カウンセリングとか恥ずかしい」「カウンセリングなんて意味がない」と思っていてはもったいない気がしますね。
第三者に話すことで見えてくることも沢山ある。
海外みたいに、風邪引いたから病院行くのと同じ感覚で「ちょっとカウンセリング行ってくる」が実現したらいいな〜と。
かくいう私も民間のカウンセリングを渡り歩いたことがあって、結果としてカウンセリングを受けて大正解でしたが、
まだまだカウンセリング料金も検討の余地があるし、敷居もうんと高い。
苦しいときこそ第三者に聞いてもらう必要があると信じているんですけど、私たちはまだ「恥」の意識が邪魔をしているのか
カウンセリング自体「恥ずかしいコト」として日常会話に上がることは殆どない気がします・・。
気兼ねなくカウンセリングを受けながら、体だけじゃなくて「心」のメンテナンスができるような社会になればいいな〜と願って止みません。
治ったはずなのに!?「突然リターン」を知っていれば怖くない
随分前に治ったはずなのに、またふとしたことがきっかけであの時の鬱状態に戻ってしまう・・
「突然リターン」とは本書で著者の田中氏が名付けた(?)、鬱の「ぶり返し」のこと。
田中氏は「突然リターン」が時々襲ってきてもうつを「妖怪」に例えて、「あ。また来たな・・ヨシヨシ」と手なずければいちいち怯える必要はないと説きます。
うつは「あ、治ったかも!?ヤッホー!」と一気に治るわけではなく、良くなったかと思ったらまたぶり返して、また良くなって・・忘れた頃にぶり返してと、徐々に治っていくものだと理解しました。
私たちはつい、一気に治りたい、すぐにこの辛い状況から脱出したいという気持ちもあって、なかなか「突然リターン」を受け入れようとしません。
ああ〜何をやっても気分が沈む・・
分かります。そんな時は「うつフィルター」が自分に覆い被さってしまっているので、どんな前向きな言葉も響いてこないんですよ(笑)
雨の日はてるてる坊主を飾ろうが神様に祈ろうが天候が変わるまでどうしようもないんです。
雨の日に運動会やろうとしたところで無理なんです。
晴れるのを待つのみ。(特に女性は生理前なんかにこんな鬱状態になったりしません?PMS(生理前症候群)とかいうアレ。)
そんな時でも決して元気になれない自分を後ろめたく思う必要はない。
後ろめたく思う必要なんて全くないんです。むしろ後ろめたく思っちゃダメ
↓モラトリアムってベンリな言葉があります。
モラトリアムの典型として「とことん何もしない」を徹底するためには実家に帰るという手もあり。
映画「もらとりあむタマ子」では主人公タマ子が実家の寄生してとことん何もしません(笑)
↓すごく参考になります。
行ったり来たり同じような所をぐるぐるしているように見えて実は着実に回復へ向かっている、そんな螺旋階段のような治り方をするんじゃないかと思っています。
↓うつに限らず何事もこんな感じで良くなっているはず。
うつは風邪なんかじゃない。ガンだ。
年間三万人を超えるという自殺者。その多くの人がなんらかの精神疾患(うつなど)を抱えていたとも言われています。
国民病であるということは同時に、うつは深刻な脳機能疾患であるという意識を麻痺させます。
うつに苦しむ人に対して「怠けているんじゃないか」「うつなんて心の風邪だから」「うつなんて気の弱い人がなるものだ」という気の持ちようで何とかなるものという偏見が後を経たない。
本書に出てくるうつヌケ体験者達も例外なく、そのような偏見にさらされてきた人たちでもあります。
著者の田中氏はうつは誰にでも起こりうる疾患であり、決して他人事ではなく、かつ放っておくと危険な病だからこそ、「うつは放っておくと死に至る病です」と警鐘を鳴らします。
うつって「気の持ちよう」なんかなじゃ決してなくて、同時に体のバランスを崩し実際に体にあらゆる不調が出てきます。
だって、うつって、脳機能疾患です。(ですよね?)
私たちの気分とか感情とか司っている部分はどこから出てくるのか。
脳の中にあるセロトニンとかアドレナリンとかドーパミンとか、ああいう脳内物質の出方に左右されています。
究極のところ、私たちの精神なんて脳みその電気反応や脳内物質がどれだけ出ているかにすぎません。
私たちは脳内物質のほんのちょっとしたさじ加減で私たちは気分が落ち込んだり、逆にヤル気が出たり、リラックスしたりしているんです。
同時に、それらセロトニンとかドーパミンとかの脳内物質って自律神経にも関与していて、
自律神経って体の運動を調節する大事な機能なので、何らかの原因で脳内物質の出が不規則になったり悪くなったりすると当然、体の調子も悪くなる。
うつ=脳内物質の出が不調になることと一緒だと考えると、うつになったら体も動けなくなって当然なんですよね。
(実際には)
体が鉛のようになってベッドの上から一歩も動けなくなったり、眠れなくなったり、体のあちこちが痛くなったり、汗が止まらなくなったり
・・うつになると体にも症状が出てくるのはそういうワケがある。
それを「怠けている」とか「気持ち次第だ」なんて言われたらたまったもんじゃありません。
心臓や胃や肝臓が悪くなっても「心臓の風邪」「胃の風邪」なんて言いませんものね。
本の最後の方で田中氏は「うつは心の風邪なんかじゃない、ガンである」と断言します。
「ガン」と一緒と考えた瞬間、それまで周りの人間からは「心の風邪」程度でふわっとした認識だった「うつ」が真実味を帯びてきて、さらに緊張感が生まれ、
「おいおいガンならすぐ治療をしなくちゃ!」「仕事なんてしちゃダメ!休んで!」とすすんで当事者を受け入れてくれるのではないか。
なるほど〜と思いまして、賛否両論あるかもしれないけど、このくらいガツンと効く言い方に変えないと「うつ」に対する意識も変わらないし、
日本人の精神科や心療内科のマイナスイメージ、さらにはカウンセリングに対しての抵抗も払拭できないし、
いつまでたっても、うつの原因となりやすい会社体制だって変わらないんじゃないかな〜と思いました。
この辺はマンガでさらっと読んじゃいましたが、本一冊分ぐらいになりそうな課題ですね・・。
うつ当事者も、うつじゃない人も、うつの友人がいる人も
人それぞれにうつの出口「うつヌケ」がある。そんなことを教えてくれるマンガだと思います。
「別に今うつなわけじゃなくて、ちょっと気分が滅入りやすいだけ・・」
身近に聞く病だけど誰も詳しくは知らない、当事者にも詳しくは聞けない「腫れ物」のように扱われるうつですが、本書をきっかけに大きく見方変わると思います。
「私はうつじゃないけどうつの友人がいるので、うつとはどんなものか知っておきたい」
通りすがりの人が読んでも十分勉強になる本ですよ。
何となくうつに陥りやすい思考のクセ(パターン)とか、うつとのつき合い方を学ぶことができるはずです。
軽快なマンガもあいまって、読後は明るくさわやかな余韻が残りました。
とくに後半のシーンは・・なぜか涙なくしては読めず、胸をグイッグイ揺さぶられるような感動がありました。
そこで表紙のあのマンガに重いを巡らせます。
「ああ、そうか。表紙のお兄さんは以前は苦しめられていたこの
これはうつが決して不治の病ではないと言える証明なのではないでしょうか。
表紙のマンガの深さに乾杯。
ではでは。
※この記事では私の独断や偏見も入っています。