ベストセラーのうだま―やる気の秘密でおなじみの池谷裕二先生の名著 「単純な脳、複雑な「私」」が面白かった。
池谷裕二先生が母校をたずね、生徒たちと色々なおもしろ実験を通して対話形式で
脳の複雑さと神秘さと、そして言い訳がましさ(笑)にせまるという内容。
脳のことを何も知らなくても分かりやすい説明と実験でぐいぐい引き込まれる。
▽「のうだま」もけっこうな話題作となりましたね。 bliss-blink.hatenablog.com
日常は根拠のない信念に満ちている
僕らにとって「正しい」という感覚を生み出すのは、単に「どれだけその世界に長くいたか」というだけのことなんだ。
つまり、僕らはいつも、妙な癖を持ったこの目で世界を眺めて、そしてmこの歪められた世界に長く住んできたから、
もはや今となってはこれが当たり前の世界で、だから、これが自分では「正しい」と思っている。
そういう経験の「記憶」が正しさを決めている。
【日常は根拠のない信念に満ちている】より
池谷先生は「日常は根拠のない信念に満ちている」と示唆し、
その証明としてこんなハナシを教えてくれる。
犬小屋から4メートル離れたところにエサを置いてその場を離れた。
5分後に戻ってきたら、なんと、エサがキレイに食べられていた。
さあ、この犬はどうやってエサを食べたのだろうか。
ちょっと考えてくださいね。
↓では答え。
A:綱を犬小屋に結びつけていなかった。
ズコー。
私たちは「綱」「イヌ」「犬小屋」という単語を聞けば、勝手に「犬は繋がれているはずだ」と仮定して考えてしまう。
こんな前提や思い込みは日常茶飯事に脳内で起こっているということは
私たちは記憶にどっぷり依存して生きているということの証明でもあります。
物事をニュートラルな視点で見ていないのです。
「正しい」は「好き」の言い換えにすぎない
「正しい」というのは、「それが自分にとって心地いい」かどうかなんだよね。
その方が精神的に安定するから、それを無意識に求めちゃう。
つまり「好き」か「嫌い」かだ。自分が「心地よく」感じて「好感」を覚えられるものを、僕らは「正しい」と判断しやすい。
【「正しい」は「好き」の言い換えにすぎない】より
心地よくて、心がかき乱れない物は正しいと思ってしまう気持ちは分かる。
慣れ親しんだものはとにかく正しい、新しくて
私たちが「正しい」と信じていることって本当に正しいんだろうか。
隣のあの人とあなたの「正しい」ことは絶対一緒だと言い切れるだろうか。
私の「正しい」ことを誰かに押し付けていないだろうか。
好きになることは、脳の回路が変化すること
好きになると脳回路そのものが変化する。
快感刺激とセットになって脳に入ってくると脳が変化を始める。
好きな物に触れたりするとさらに好きになって「好き」が強化されるということ。嫌いもまたしかり。
「好きこそものの上手なれ」はちゃんと脳のメカニズムにかなっていたんですね。
「体」は答えを知っている
あなたの「体」はあなたより先に答えを知っているとしたら。
ある実験で、被験者が答えを導き出すより先に体にはわずかな反応が出た。
まるで体=無意識が「そっちはだめだぞ!失敗するぞ!」と教えてくれているかのようだったという。
何かをしようとする前に「嫌な気がする」とか「胸がそわそわする」といった体の反応も説明がつきそう。
体は答えを知っているなんてすごい。
ちゃんと体に聞いてあげた方がよさそうだ。
脳はメンドクサくて深遠で面白い
見てもいないのに「見た!絶対見た!」と勝手に作話をしたり、勝手なモノサシで判断したがったり、
見たことある記憶を使い回して「あ〜知ってる、これは多分こうじゃね?」と知ったかぶる、
ちょっとめんどくさがりやでズルい脳。
本書では沢山の実験を通して脳のテキトーだけど憎めない一面を知ることができる。
「私たちの見ている世界は、脳が見せる認識の世界にすぎない」
池谷先生は断言する。
かなしいかな、これは事実だ。
私たちがオギャーと生まれて「世界だ」と認識しているこの世界は、
あなたの脳がなければ認識することができない。
見たり、聞いたり、感じたり、触ったりして初めて「ここには世界がある」と認識しているからだ。
もし、五感すべてがなくなってしまったとしたら、世界は消えてしまうんだろうか・・?
こんなことを一度は考えたことはあるはず。
こうとも考えられる。
現実で起こっていることは脳の幻想なのだから、脳のありかたひとつであなたの世界を変えられることができる。
ではでは。
▽「錯覚する脳」も面白い。 bliss-blink.hatenablog.com