一見すると非常識で「図々しいな」「だらなしないな」と思われてしまう「自由」な人たち。
以前はその手の好き勝手やっている人が大の苦手。
非常識なところは直されるべきだと信じて疑わなかったんですが、
最近では、
「いいぞ〜もっとやれ!」という思考にチェンジしてきました。
↓イラッとくる人は実は宝だったシリーズ
好き勝手やっている人と自分。
何か違うのでしょうか。
寝坊するYさん
常識という固定観念を爆破してくれてスカッとする人をまた発見。
それは娘の同級生のお母さんであるYさん。
Yさん、若々しくていつもマツエクをきゅっと上向きにキメて
パートの仕事に勤しむ頑張り屋さんですが
ちょっとだらしないところがありますw
隙はないように見えるのですが、
飲み過ぎた翌朝に寝坊して、「めんどくさいから」と子どもの学校を休ませるという、
なんともスゲー母ちゃんでいらっしゃいます。
ちょっと前までのBlissでしたら穏やかではいられない、
なかなか強烈なエピソードを会話の節々にボンッと爆弾のように投下してきます。
(お子さんはおおらかで伸び伸びとしているので悪い影響は与えていないはず・・)
仮にBlissが寝坊して面倒くさいからと娘の学校を休ませる、
これをできるかと言われたら ・・出来ません (笑)
どうしても心にある「してはいけないこと」バイアスにひっかかります。
それをYさんいとも簡単にやりのける(しかもたいして罪悪感がない様子)
Yさんと私は何が違うのでしょう。
世間の常識ってブレッブレ
↓案外「常識」ってブレていると感じます。
人ん家のお宅でカルピスをごちそうになって初めて、我が家のカルピスが【水並みに薄い】ということに気づいた
前職では当たり前だったが、今の職場ではありえない事だった。
イケメンだと信じて疑わなかったが、周りに聞いたら10人中9人が「フツメン」と答えた
カレーにちくわを入れるのウチだけだった。
家庭という社会の最小単位ですらもう、常識の違いはあるのですから、
これが例えば世界規模の話になったら「スタンダード」なことなんて迂闊に決められないはずです。
「みんな違ってみんないい。」
女流詩人の金子みすゞさんのあまりにも有名な詩の一節ですが、
人に常識だ非常識だとジャッジメントをしないだけで
随分気が楽になります。
第一、一般的に非常識、ありえないと言えることをやっている人ほど大成したり願いを叶えたり、人生イージーモードで楽しそうです。
人を非難をすることで自分の罪悪感を見ている
心理学に「投影」という概念があります。
Blissは心理学の教育を受けていないので、あくまで聞きかじりの範囲でお答えしますが、
投影とは自分の中にある何かの要素を人に反射させて(スクリーンのように投影させて)人を見ること。
自分自身の例で言えば、
↓BlissはYさんの中に「非常識なことをして罪悪感のない自分」を写し出し、投影していると言えます。
だから自分で自分に怒っているわけなんですね。
もっと突っ込んで言えば、
目の前で悪びれもなく寝坊するYさんを見てイラッとしている─。
つまり
↓↓↓
「本当は自分もやりたい!」
こういう真意が隠れているんです。
さらにちゃっかり罪悪感もこびり付いちゃってるものだから
まぁ、こんな感じで周りの人は自分の隠された部分を包み隠さず映し出してくれます。
自分の中にある縛りとかくだらない思い込みをバッサリと切り捨て、
テキトー道に生きるヒントを教えてくれるYさんにはいつも感謝しています。
(↑誤解を恐れずに言いますが、Yさんとは仲がいいですからね!)
テキトー道以外にも物の捉え方も違うので、Yさんには色々学ばせてもらっています。
ご本人はフツーに生きているだけなんでしょうけど。
「み〜んな自分の投影」という考え方を受け入れていくと、自分の周りから嫌なヤツがいなくなります。
他人は他人!と最初は信じられなくても当然です。全然構いません。
よく観察してみると、
迷惑なあの人、ウザいアイツ、自慢ばかりしてくるあの人、・・・etc
どいつもこいつも色々教えてくれてますよ。
「あーまぁそういう人もいるよね~」 「自分にもそういう側面があるのね~」 「私にはこんな縛りがあったのか!」
少しでもそんな考え方にシフトできたら、
いつのまにか嫌な人が消えて、いい人ばかり集まってストレスフリーになります。(実証済み!)
NO RULEで生きましょう。
いつも読んでくださってありがとうございます。