誰も人の気持は分からない。
ちょっと前の記事で五感以外に外を感じることはできないみたいよ、という記事を書きました。
「外」だと信じているこの世界はすべて脳(または無意識?)が五感を持って作り出したイリュージョンである、
そう言っている科学者は多数います。
ということは自分以外の人の気持ちなんて、分かったなんて言っておいて、本質的なところは何も分かってない。
私の心も私意外誰も理解することができない。
極論かもしれませんが、「誰も人の気持ちなんて分からないんだ〜」と念頭に入れておけば
相手の言葉に傷ついたり相手に勝手に期待して裏切られたりすることはなくなるハズです。
・・お、なんか禅的じゃね?
仏教のエライ人が言っていたような言っていないような。
(仏教に明るくないので分かりません。)
言葉なんてその際たるもの。
言葉一つで人の数だけに解釈されます。
人間皆ジコチューである
人間はみんな自己中心的で自分が一番正しいと思っている、つまりジコチューなんです。
かのアメリカの作家デール・カーネギー氏の人を動かす 新装版という本の中でも
「極悪人だって処刑台に立つその時まで、自分が悪いことをしたとは思っていない。
みんなジコチューなんだよ結局は」みたいなことを言っています。(テキトーうろ覚え)
私もジコチュー。みんなジコチュー。
結論:この世には自分一人しかいない
怖いことを言うようですが、この世には自分一人しかいないと言う学者さんがいらっしゃいます。
まじか・・。
だってそうでしょう。
まず視覚がなくなり、聴覚がなくなり、触覚も味覚も嗅覚も、すべての外部との感覚を遮断されたら
外の世界はどのように映るでしょうか。
無──。
ですね。真っ暗闇は感じるかもしれません。
↓こんな風に。
無。
自分一人の<意識>しか感じません。
五感があって初めて外部と自分が遮断されて、分離されて、
<自分>と<それ以外>という自他の感覚が生まれる。
つまり一人しか存在していない。
もっとスピリチュアルな人達は
「元々私たちはひとつ(ワンネス)なのだから世界には自分一人である」
という考え方もあるようです。
深いけどまだその境地に達していないのであえて発言はしませんが。
自分の意識だけが虚空に浮かんだ経験
怖い経験をしたことを思い出しました。
目をつぶって瞑想していたら、ある瞬間ふっと宇宙のような空間に放り込まれました。
無──。
果てしなく広がる闇の中に文字通り意識だけが<ある>。
音もなく光もないただただ広大な空間でした。
完全な一人の世界。
本能的な怖さを感じて目を開けてしまいましたが、
あれが「2億3千万光年先の宇宙空間」だと言われたら信じてしまうかもしれない。
明らかな空間をものすごいリアルさを持って<そこ>に感じました。
それは仏教的な解釈でいうところの「空(くう)」と呼ばれるものかもしれませんし、
ただの寝ぼけた夢かもしれません。
周りに言ったところで「あいつモテないからってついに宗教にハマったか・・」と言われるのがオチなので
誰にも言っていませんw
しかし、あの圧倒的なリアルな感覚を持った空間は夢とかではなく
実際にいまもすぐそばに存在すると思いたいです。
な〜んて考えてたら秋の夜が更けていく・・。
哲学は良く分かりません。
飲み会や合コンのネタ哲学っぽい話はいかがでしょうか。
次から呼ばれなくなりますが。
いつも読んで下さってありがとうございます。