前野隆司さんの「錯覚する脳」読んでいるんですが、これ面白いですね。
錯覚する脳: 「おいしい」も「痛い」も幻想だった (ちくま文庫)
私たちの感覚なんて全部脳の錯覚かもしれないよ?という前提で話が進みます。
各感覚器官がいかに脳が作り出した幻想であるか、
脳が独自に創った奇妙な感覚、「クオリア」という言葉を使って丁寧に解説されていきます。
「クオリア」とか「心身一元論」という何それおいしいの?というような一般的に馴染みのない言葉も
ゆるい絵と前野さんの易しい説明で難しく感じません。
前野さんは科学者という立場上、非科学的なことは否定的ですが
本書の後半では釈迦(ブッダ)と宇宙について言及しています。
脳ってやっぱり宇宙につながっている気がする。
「感覚遮断タンク」で自と他の境界をぶっ壊せ
前野さんが体験した「感覚遮断タンク」の話がスゲー興味深い。
日本には2台しかないとのこと。
写真参照元:Recovery Tools – Isolation Tank or Float Spa | Devan Nielsen Fitness
なんか感覚遮断とか怖っ!とその前に、感覚遮断タンク(アイソレーションタンク)のカンタンな説明を。
人が入れるほどの大きなふた付きタンクの中には塩分濃度の高い特別な水が張ってあり、
そこで全裸で寝転がるだけのセラピー。
このタンクの目的はズバリ五感を取り除くことなんですね。
真っ暗闇で視覚を断たれ、水で音が遮断された状態では体内音しか聞こえない。
水に浮いているせいで自分の体位もよく分からない。
暗闇にぷかりと浮いているだけを味わう。
・・・・
閉所恐怖症の人には聞くだけでゾッとする体験ですが
リラックスとかセラピー・ヒーリング以上の至高体験ができるんだそう。
体の境界があいまいになって意識だけがぽっかり浮かぶ
本の中では前野さんの研究室の生徒もこのタンク体験をしているのですが、
C君の体験はスピリチュアルっぽくて良いですね。抜粋します。
自分という意識(自己認識)が全くないかのような状態だった。」と。
なんともうらやましい。
─第3章 主観体験というイリュージョン より─
これってまさに禅の境地というアレですね!スゴい。
前野さんもおっしゃるようにC君は参禅の経験があるということである程度
瞑想のスジがあるにしても、素晴らしい体験をされてるなと思います。
どういうことかと申しますと、禅でも瞑想でも、深〜い意識状態になると脳波がθ(シータ)波とかさらに深くδ(デルタ)派になるらしいんですが
その時点で意識が明瞭だったりすると、息をしていない(ようにみえる)状態になったり
体の境界があいまいになって、ただ空間に意識(脳)だけ浮かんでいる状態になると聞いた事があります。
Blissもセッションで瞑想を伝授されて以降、瞑想である程度の意識状態には至るのですが
ここまでスコーンと変性意識状態に入れたら気持ちがいいだろうな〜と思います。
起きているのか眠っているのか
上記のC君はタンクの中での不思議な感覚をしています。
なぜかゲームの音が頭の中を流れたりとか。
近いような体験はあるっちゃあるんですけどね。
昨日のプチ瞑想の記事でちょこっと瞑想を教わった事があると言いました。
本書でも瞑想の意識レベルの一つの過程としてθ(シータ)波が挙げられていましたが、
その瞑想は意識レベルがかなり深いところまで到達する特殊な瞑想です。
その瞑想中に体験できる感覚の話を少しすると、
よく自分が起きているのか眠っているのか分からない状態になります。
開始の合図の鐘を聞いてさあ呼吸を整えてぼ〜っと身を委ねていたら、次の瞬間に終了の鐘が鳴るんです。
体感にして2〜3分くらいなのに、時間が30分も経過していたというわけです。
眠ってしまったわけではなく、30分間の意識がスコンと飛んでしまっている。
幻覚か夢なのか
意識はハッキリしているのに夢を見ている、
全然脈絡のない映像が浮かんできたりするんです。
「夢」の中ではTVの手芸番組を見ながら見よう見まねで毛糸で何か編もうとしていたり、(しかもなぜ編み物!?)
こんな瞑想中にしかもこれかよ!みたいな突拍子もない映像だったりします。
この瞑想は基本的に座って行うものですが、実験的に横になって瞑想をしていましたら
段々体と空気の境目が曖昧になり、しまいには首から上、つまり意識だけが漂っているようなまさにC君と同じ体験をしました。
どこが指でどこが足なのか分からない。
力を入れようにも力の入れ方が分からない。
ただ感じるのは波の中にフワフワと浮いていて気持ちがいい。
体を意識した途端「あれ?今息している・・?」と急に怖くなり、
思いだしたように呼吸がハッキリしてきたのを思いだしました。
Blissは体を超越してしまったんでしょうか。
感覚を疑ってみる
ここからこっちは私、これは木、これはリンゴ、
「私たちはそこに物質の境界があると思い込んでいるだけで実は全部一緒なんだYO!」
ブッダはそんなことを言っているようです。
前野さんの言葉を借りるなら、自分と他とを隔てているこの皮膚一枚。
ここからは外の空気でここからは自分の体という境界線も
実は錯覚なのかもしれません。
そうなると悲しいことに、前野さんの言う通り目の前で繰り広げる世界も
自分の脳が見せるイリュージョンに過ぎないのかもしれない。
しかし進化の中で人間だけが「クオリア」という美意識を獲得することができた。
それは人間が人間たる美しい感覚なのだ。
「クオリア」は全ての物が美しく温かく、時に冷たく悲しく、私たちの感覚の多様さを示してくれる。
人間だけに用意されたすばらしい「錯覚」
この世は錯覚だイリュージョンだと斜に構えず
その錯覚に日々振り回されることにしよう。
そう言えば、「脳の錯覚」と聞いて真っ先にこの映画を思い出しました。
「バニラ・スカイ」
↓ストーリーに色々な解釈がされていて、いまだにコアなファンがいる映画です。
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以前、宇宙物理学者でクリスチャンという、どっちやねん!と突っ込みたくなるような方とお会いした事があります。
その方曰く、科学の行き着くところは神の存在の証明であると言うんですね。
「科学ってね、神がいないと説明できないフシギな事象が多いんだわ。そりゃ段々神様の存在を信じちゃうよ〜テヘペロ」
と言っておられました。
(その後、先生はダークマターについて熱く語られたのですが凡人のBlissには全くついていけませんでした。)