君の見ている月と僕の月は違うのかもしれない
いきなりポエムなことを言ってすみません。
人それぞれ見ている世界が違うということは
私の見ている赤い色はあなたの見ている青い色かもしれない。
私たちは脳を使って初めて外の世界を知ることができる。
もし今ここで見る、聞く、触るといった感覚が一切遮断されてしまったら
私たちは外の世界を知る術が出来ないんですよね。
つまり私の知る世界=私の脳が捉えた世界なわけだ。
光を反射を脳が処理して、それを映像化して、それを概念化して初めてそれが「ポストだ」と理解する。
音が生まれて、それを外耳や内耳で捉えて、脳がそれを音にしてそこでやっと「オナラの音だ」と理解する。
人それぞれが持つ感覚器の違いに左右されちゃうので、
私の見えている赤いポストはあの人から見たらもっと赤く見えているかもしれない、
っていう哲学思想にたどり着く。
極端な話、
私には赤く見える色をあの人には青く見えているかもしれないってこと。
千差万別、多種多様と言うけれど
脳も千差万別だって普段あんまり意識していない。
言われてみれば確かにそうだ。
結論:人なんて本当は解りあえていない。以上!
あなたと私は見ているもの、考えているものが違う。
それなのに相手にも同じ意見を求めるのがおかしいし、
意見が同じになるわけがない。
ちょっと跳躍しすぎたかな。
違うもの同士が分かり合おうなんて無理なわけで、
もし相手のそう思ってくれたらラッキー!ぐらいの軽さで人と接する。
最初から「お互い分かり合えなくて当然」という心持ちで接した方がずっとラク。
どうしたってウマの合わない人だっているし、
思考の回路が違いすぎて理解し合えない人だっている。
相手も「こう思っているだろう」「だからこうすべきだ」「あの人を変えなければッ!」
と期待しない。
よく仏教のエライ人が言っている、「相手に期待しない」
これの意味がやっと分かってきた。
だからといって相手に冷たくしろと言っているわけじゃないよ。
ちゃんと相手に敬意を払い礼を尽くす。
けれども相手もこう思っているに違いない、という前提で接してしまうと
災いのもとになるよ、ということか。
相手に期待しない。
ちなみにBlissは人に期待することをやめました。
期待もしないし、過度に依存もしない。
「そういう考え方もあるのね、ほほう。」と進んで違いを受け入れる。
テキトー&Take It Easy
人間のストレスの8割が人間関係じゃないかっていうくらい
ムダに磨り減って消耗するよりは相手に期待しないほうが
超ラクです。
いつも読んで下さってありがとうございます。