Photo by Jan Vašek
こんにちは。Bliss@Bliss_Blinkです。
タイトルの通り、頑張り屋さんという褒め言葉ってなんかモヤモヤして好きじゃないです。
子供の頃、部活や勉強に熱心に取り組んでいたら「頑張れ〜っ!!」とエールを送られたり、試験勉強をしていると「頑張り屋さんね。エライわ〜」と母親に褒められた経験は誰にもあるのではないでしょうか。
なぜか日本は「頑張る」という言葉が大好きな人が多いせいで頑張っているとよく褒められます。
学校の先生は頑張る子が大好きです。
39度の高熱が出ようが休まず頑張って学校に来た子には「皆勤賞」なんてのもありました。
つまり先生は頑張らない子や不器用で上手に頑張れない子は大嫌いなのです。
口癖のようにもっと頑張ろうとか、君たちは頑張ったからスゴイとか叱咤していたので、先生は頑張らない子が嫌いなのだと子供たちは何とな〜く気づき始めます。
そうやって子供の頃から数えきれないほど「頑張る」を聞いてきた私たち。
大人から言われていくことで何の疑いもなく、もっと頑張れば褒めてくれるし、頑張れば偉いんだと信じてきました。
うんざりするような嫌な仕事でも、見たくもないような苦手な人間関係も歯を食いしばって頑張らなくちゃ。頑張ったらきっと努力が報われるはずだ─。
頑張りさえすれば報われる…はず。
そうやって社会に出て気づくんです。
頑張ればすぐに成果となってエライ!スゴイ!と褒めてくれる先生や親はもういないということに。
頑張れば頑張るほど損をする?オトナの社会
そして大人の社会では頑張れば頑張るほどどんどん仕事を任されます。
頑張っても褒めてくれる人がいないということは頑張っても頑張っても一向に認められることはなく、頑張れば頑張るほどさらに高みを要求されて「もっと出来るよね?」と冷たい顔で言われるだけです。
でも「頑張る」という言葉の呪縛は大人の社会にも根付いているため、みんな心の奥底で今のままではいけないしもっと頑張らなくちゃいけないと不安感に駆られているのではないでしょうか。
某大手広告代理店に勤める若い女性社員が、会社からもっと頑張れと強要されて、激務の末、ビルの屋上から身を投げてしまった事件は記憶に新しいかもしれません。
ニュースの中だけではなく、終電に帰る生活を続けて体を酷使して頑張ったあげく、働き盛りに過労死してしまったサラリーマンの話も今じゃ珍しい話じゃないようです。
過労死する前に気づけたんじゃないか?もっと早くそんなブラック企業から脱出できたのではないか?
もっとテキトーにサボって行けばよかったんじゃないの?
身も心も健全な状態で安全な立場にいる人はそう考えてしまいがちですが、頑張りすぎて犠牲になった人たちはおそらくその真面目で人一倍我”頑張り屋さん”な性格がアダとなり、体を壊してしまったんではないでしょうか。
頑張るって言葉には何かこう、歯を食いしばって耐えて耐えて耐えまくるみたいな、我慢強さを強いられるイメージが付いてまわるんですよね。
マラソンなどで呼吸が苦しくても全速力で走るあなたに「頑張れー!」と声援を送られるところを想像すると分かりやすいですね。
いつの間にか頑張ることは耐え忍ぶことだと信じ始め、頑張る必要のないことまで必要以上に頑張ってしまっているのではないでしょうか。
頑張ればきっと報われると思っているからです。
そろそろ、頑張っても正当に評価してくれて褒めてくれる心優しい先生は社会には存在しないのだと気づくべきではないでしょうか。
そう。頑張りすぎてメンタルをやられてもあなたの責任だし、同僚や他人にとってあなたがどれだけ頑張ろうがカンケーないしどうでも良いのですから。
じゃあ、適度に力を抜きましょう。
頑張らなくてもじゅうぶん生きていけます。
適度にサボろう。テキトーになろう。そして時々頑張ろう
第一、「頑張れ!」なんて声をかける人はその言葉に責任なんて考えちゃいません。「ガンバル」って言葉は幾度となく聞いてきたしただ耳触りがいいからその場の勢いで言ってるだけです。
頑張れと言うけど頑張ったらどうなるの??な〜んて聞いてもうやむやにされて答えてくれませんしヤバい人だと思われるのがオチです。
だから、頑張っても何の見返りもない不毛なことや、あなたが気の乗らないことなど、いちいち頑張って取り組む必要はないと私は考えています。
嫌いなことや気の乗らないことまでいちいちフルパワーで頑張っていたらエネルギーなんてあっという間に枯渇してしまいますし健康に良くありません。(内向型のタイプの人は特にね)
嫌いなことに対しては電源をオフにするように感情を”無”にしてやり過ごし、気ののらないことは適当に受け流して省エネモードにすることです。
限りあるパワーをあなたがやりたいことや情熱を注げるものに対してとっておいてください。
省エネモードにしていた分、あなたが「これだ!」というものをメチャクチャ頑張ってください。
「好きこそ物の上手なれ」とはよく言ったもので、自分が好きなことってどんなに寝る間を惜しんでも勉強するのにお金を使ってもあまり自分が頑張っているという自覚がないものです。
なので頑張る方向を間違えると一向に報われないという状況に陥ります。
壁に向かってアクセルをベタ踏みしても一向に進まないのと同じで、頑張っても報われない状況はあなたにとって何のメリットもなく、一線を置いて冷静に考えて退いたほうが良いかもしれないということ。
…という私も、お給料のためとやりたくもない仕事に就いて頑張った時や、明らかに自分とはウマが合わなそうな人と何とか親しくなろうと頑張った時など、過去に数え切れないほど不毛でしょうもないものに対して頑張ってしまい不毛な結果となったことがあります。
今だったら、無駄無駄無駄〜!やめとけ〜!と言えるのですが、やはり心のどこかに「頑張れば突破口があって報われるはず…」と期待していたからだと思いますよね。
思わぬ結果が出なかったことで精神面で自分を責め続け、さらに体力もたくさん消耗してしまい、そこでさらに自己嫌悪に陥り…と、とても辛い経験をしました。
継続は力なりという言葉は、向かうべき正しい方向に対してのみ継続していくことで”力”になるのです。
頑張っても芽が出ないようなことや変えられないことまで継続する必要はないんです。
子供にはぜひ「力の抜き方」を教えてあげよう
今の子供たちは頑張りを求められるシチュエーションが多く、とてもストレスフルな世界に生きているなと感じています。
今思えば、先生や親が言うように頑張れない自分を責めてしまったのでしょう。ある時ぽっきり心が折れて頑張らなくなりました。
朝になるとお腹が痛くなって学校に行けなかったことがあったからです。
お腹が痛くな流ということは体が頑張ることを拒否しているということに他ならず体からの「もう頑張れません」という最終警告でした。
これは困ったと頭を抱えましたが、日頃からつい「頑張ればあなたも出来るはず!」などと「頑張って系(あえてこう言う)」の言動を繰り返していたことに気づいたんですね。
この褒め方はのちにあまり良くないことだと知るのですが、それにしても親はつい、子供に頑張れと言ってしまうもので、何に対して頑張るのか、頑張ると何が得られるのか、大人ですらよく分かっていないのに子供なら余計分からないはずなんですよね。
頑張ったら何か良いことあるの!?!?と責められて親は「うっ・・」と言葉に詰まるはずです。
子供には決してやみくもに頑張れ〜!を連呼するのではなく、これを頑張ったらこんな目標を達成できるとかもっと建設的で子供が先のことの「見立て」ができる方法を示してあげるべきだった。
24時間走り続けろ!と24時間耐久レースを言われたらどうでしょうか。
がむしゃらに頑張りまくっていたら疲れます。当たりまえです。
そこで私は適度に休みを与えてあげたり力の抜き方を教えてあげることにしました。
子供に「休み」を与えられない、与えたくない親って案外多いと思うんですよね。
休みを与えたらサボって勉強しなくなるんじゃないかと思うもの。まあ、私もそう思ってました。
でも実際はその逆でここがパラドックスなのが面白いところで、適度に力の抜き方や休みをあげたほうが子供の主体性や自主性が整って自分で「頑張る時」と「頑張らなくても良い時」を見極められるようになりました。
子供に対して思い切って、疲れてしんどかったら学校や塾を休んでも良いよ〜と言ったところ、子供自身でメリハリをつけられるようになり、行かされているのではなく「行きたい」とか「行ったほうがいい」と自分で判断できるようになり、自主的に行動することがぐんと増えました。
だから皆勤賞なんてクソ喰らえです
頑張っている目の前のそれ、あなた一人で抱えて大丈夫ですか?
あなたは今、頑張るところを間違えていませんか?
あなたが頑張りたいと思える好きなことって何ですか?
普段何気なく「頑張っている」あなたこそ、その頑張りはちゃんと正しい方向で機能しているのか一度自分の胸に聞いてみませんか?
ではでは。