テキトーエレガンス

テキトーでも人生うまくいく!

見方を変えればもっとラクになる。「自由な私」でいるための心のあり方3つ


見方を変えればもっとラクになる「自由な私」でいるための心のあり方3つ

こんにちは。Bliss@Bliss_Blinkです。

いつも気持ちが晴れない。人と比べてしまい自分はこのままでいいのかと悶々とする。小さなことにこだわってしまう。人から言われた些細なことで悩む─。

天気のように晴れたり曇ったりする「感情」や「気分」によって、毎日感情があっちこっちに動いては時に惑わされている私たち。

普段から周りの物事に影響されにくくニコニコしている人もいれば、何気ないニュースを見て気分を悪くする人もいます。

この違いって何なのでしょう。

それはおそらく「物の見方=捉え方」の違いにあるのではないでしょうか。

周りの物の見方・捉え方をちょっと変えてみたらもっと毎日がシンプルにうまくいくかもしれません。

そんなヒントを書いてみました。

人と違うこと=ラッキー!と考えよう

和を大切にして周りの人と同調することが好まれる日本では、人と違うやり方に違和感を覚えたり、みんなと同じ生き方をしていない人に対してもバッシングしたりと、とてもマイナスに捉える人が多いですね。

中高生くらいの若い子でもみんなと一緒にしたい気持ちがハッキリ出てるな〜と思います。

同じようなバッグを持って同じ髪型にして、同じブランドの服を着る…(”量産型”と言うらしい)

若い人ほど流行を追ってパッと見が”似たか寄ったか”になるのは、みんなからハブられたくない気持ちの他に、日本人特有の「自分の意見を抑えて、みんなに合わせてみんなと同じ考え方でいた方が安心」という気持ちが隠れているのかもしれません。

もちろんその気持ちは大事。

しかし過度の同調や協調性は”自分の生き方”も注がれることとなり、人と違った道を進んだ自分を責めてしまったり、みんなが出来ることが自分に出来ないからと自分を全否定することにもつながりかねません。

その一方、個人の意志に重きを置いて”個”を大切にする海外ではむしろ真逆に捉えることがあります。

そう。お国が違えば「人と違う=いいね!」になるのです。

海外の話を持ち出すなんてと思うかもしれませんが、世の中の常識はお国が違えばひっくり返ることがあると知るだけでも凝り固まった考え方をこじ開けるヒントになります。

それに、同じ国内ですら住んでいるところから一歩でも外れたら周りの風土や考え方が全然違ったなんて話はいくらでも聞きます。

田舎では受け入れられなかったことが都会では「OK」だった。

あの会社ではこんな風に評価されて落ち込んでたけど、新しい職場では評価してくれて自分に自信がついた。

親は親が決めた進路をすすめてきたけど、先生は別の道を示してくれた。

人と違ってコンプレックスに感じることであっても、案外自分が置かれる環境や周りの人などによって受け入れられたり、かえってそれが個性だと評価されたりすることもあるんです。

私は長い間、人と同じ考え方や生き方が出来ない(してこなかった)自分を責めてきましたが、この考え方は自分の自尊心をズタズタにして自分そのものを否定することだと知りました。

普通の人は「ナイフは人を傷つけてしまう凶器」だと知っているのでむやみにナイフを振り回したりしませんが、なぜか自分に対してだけはナイフを突きつけて切りつけてしまうようです。

繰り返し自己否定に陥ったり、誰かと比べて卑屈になって「どうせ私はダメなんだ」と自己批判をして責めることはナイフで自分の体を傷つけるのと同じことなんです。

自分を責める気持ちの裏には誰かと比べてはいないだろうかと探ってみてください。

そして気づいたらその場で比べるのをやめて、自分は自分。自分だけのあり方でいいんだと言い聞かせましょう。

事実、人と違うなんて当たり前なのですから比べるだけ不毛です。

ガーベラとスミレどっちが美しいか、カレーと天ぷらうどんどっちが美味しいかと種類が違うものを同列に考えて比べるようなものです。

人生のレールに乗ろうと必死でもいつの間にか外れてしまう私ですが、今では人と違う道を進むことがちょっと楽しくなっています。

むしろブログのネタになっておいしいとさえ考えるようになったら最高ですね!

長所と短所は一緒であると知る

見方を変えればもっとラクになる「自由な私」でいるための心のあり方3つ

あなたが周りの人と違うと感じてコンプレックスに感じていることは何ですか?

人は自分の短所については聞かれたらすぐスラスラと言えるほど知っているようです。

その逆に、長所はいっぱいあるけど短所が思い浮かばないという人はいないはず。(いたらすごい)

変えようと思っても変えられないあなたの苦手なことや短所だと思うこと。

その短所は本当に欠点しかないでしょうか?

コインには必ず表と裏があるように、煮ても焼いても食えないとすら思える「短所」も、見方をひっくりかえせば長所になるんです。

自分のこんなところが嫌だな〜と思う欠点でも、他の誰かにとっては羨ましいことだったり、逆に他の誰かは気にしていることでもあなたからしたらとても魅力的に思えることだったり。

「内向的」「おとなしい」「ビビり」「小心者」なんてどう見ても悩んでしまうような欠点も別の見方をすれば「慎重派」「自分の世界がある」「堅実派」なんて言い方に言い換えることだって出来ます。

(「内向的」な人ほど頭の中に膨大な知識ワールドが展開されているのは外向型からしたら驚くと思う!)

もしそこで短所は短所にしかならないと頭を固くしてしまったらずっとその短所を大事にとっておかなければなりません。…だとしたら嫌ですよね。

だったら短所を長所に変換して前向きに考えてみたら”生ゴミ”から”宝物”になるかもしれません。

嫉妬深い → 人の良いところを長所を見抜く天才
  落ち着きがない → 行動派でフットワーク軽い
先延ばしにする → 堅実派で納得してから進むタイプ
人見知り → じっくり関係を構築していくのが上手
見た目がよくない → 顔目当ての異性が寄ってこない・メイクが上手・
「実は料理上手」などギャップモテに使える

どうですか?

無理やりすぎる?なんかパッとしない?

でもこう考えてみて。

10人中10人がダメ出ししそうなキョーレツな短所でも必ず良い側面があると思いませんか?

私たちが欠点や短所だと思う事は、実はただのニュートラルな事柄であり長所でも短所でもありません。

例えば「おとなしい」がいたとします。

この人の「おとなしい」という特徴はそれだけでは「良い」とか「悪い」と判断できるものではありません。

「おとなしい」性格の人が図書館の司書さんになったらどうでしょうか。

静かさを求められるところでは私語が多くて騒がしい人より、大人しい人の方が求められる気がしませんか?(司書さん全員がそうと言っているのではありませんよ)

場所が変われば「長所」にもなり得るんです。

一方から見ると”短所”になり、反対側にくるっと回って見てみると”長所”になるということ。

180度反対側に立ったつもりで客観的にその短所を見てみると長所が思い浮かんできます。
または「私〇〇なところが自分の嫌なところなんだよね〜」と落ち込んでいる友達を励ますとしたらどんな声をかけてあげたいかを想像してみると短所→長所がポンポン出てきます。

もし自分のこんなどころが嫌だなと思うところを書き出してみて”長所変換”してみると新たな魅力となって映り自信がついてくるはずですよ。

「〇〇という人もいる」と考え方

自分が良いと信じていることや自分が大切にしている価値観。それは他人にとってはどうでも良いことかもしれません。

自分が「これはやっちゃいけないでしょ!」と禁止しているルールも、Aさんにとってはそんなに悪いことだと思っていないかもしれません。Bさんからしてみたらむしろ反対に良いことだと思っているかもしれません。

一般的にはタブーとされている不倫や浮気ですら、平然と浮気しちゃう人たちがいるのは明らかですし、TVに出てくる芸能人などを見れば…ね。。

人それぞれ物のとらえ方が違えば考え方も違います。世の中にはあなたのことに共感してくれる人もいれば絶っっっ対に解り合えない人だっているはずです。

人の数だけ多種多様な考え方があるということを頭の隅に入れておくんです。

…書くとすごく簡単なのですが、頭では分かっているのに自分の主張を通してしまったり、どうして分かってくれないんだろうと悩んだりするのは、自分と周りの人は同じように考えているはずだと思っているからではないでしょうか。

自分とは違う考え方を持つ人に対して「それは違う!」と非難して考え方を変えようとしたり、自分が良いと思わない趣味に対して否定しまくったりする人に共通するのも「人と自分は同じ考えを持つべきだ」という偏った考えが心の中にあるからだと思います。

この「人の数だけ考え方がある」事実を心の底から理解すると、他人の言動にいちいち振り回されなくなりますよ。

今日街で見る人を「そういう人もいる。」という目で見てみるともっとストレスを感じなくなるかもしれません。

トゲトゲな心を丸くする「マインドフルネス」でもっと自由になる

見方を変えればもっとラクになる「自由な私」でいるための心のあり方3つ

アメリカgoogle社が社内教育に取り入れるなどして一躍期待をされている「マインドフルネス」をご存知ですか?

メディアなどでもよく耳にするようになった「マインドフルネス」ですが、誰にでも簡単にできるだけでなく、しなやかでヘコたれない心が育まれるという効果も期待できる近年注目されているワークなんです。

マインドフルネスでは主に、座って行う「瞑想」歩きながら行う「歩きの瞑想」などがありますが、座禅のように足を組んだり苦しい体勢に取ることなく、椅子に座って気軽に瞑想を行うスタイルが主流となっていますね。

そもそも「マインドフルネス」って??とピンとこないと思いますが、マインドフルネスは”気づき”のワークと言われるように、


マインド=心 フルネス=気づく

マインドフルネスを一言で言うなら、生活の隅々に「気づき」を与えること。

現代の人は目まぐるしい社会で生きていくために、毎日たくさんの仕事やタスクを抱えています。

朝ご飯を食べながら「食べること」に集中している人はどれだけいるでしょうか。

朝ごはんを食べながら「すぐに洗濯機を回さなくちゃ」とか「今日のあの仕事、〇〇さんにお願い出来るかな…?」と先のことを心配したりと、次から次へと怒涛のように押し寄せて来る「頭の中の考え」に振り回されている状態が一日中続いているのが現代人なのではないでしょうか。

マインドフルネスはそれとは反対のことをします。

マルチに働かせていた心を一つのこと、つまり目の前のことに集中させる。

ご飯を食べているならご飯を食べることに集中する。箸を手に取る指の感覚。箸に乗せられた食べ物が口へ運ばれる感覚、口のなかに咀嚼されて味わう感覚など、一つ一つの動作に「気づいて」いきます。

もしそこで「早く終わらないかな」など全く別のことを考えてしまったら、気がそれたことを認識してもう一度食べることに集中します。

こうやって少しずつ気が散りがちな心を認め「今のあるべきところ」に心を戻す実践をしていくことで認知=物の見方や捉え方を正しい方向に変えていく、いわば「筋トレ」に近いワークかもしれません。

気が散れば散るほどかえってトレーニングになるので気がちろうが意識を瞑想に戻せばOKなんです。

気が散っても「あ!今気が散った。」と気づけばOK。

瞑想中に今日の夕飯のことが気になってきたとしても「あ。今夕飯のこと考え出した」と気づけばOK。

これなら出来そうですよね?

日本古来のお寺で足を組んで座る「座禅」と共通するところがありますが、マインドフルネスはより現代の忙しい人のスタイルに寄り添う形になっていて続けやすくなっている印象ですね。

↓まずマインドフルネスとは何なの?から始めて、瞑想もやってみたい!というビギナーは吉田昌生氏の本は分かりやすくてオススメです◎。

一方こちらはちょっと本格的。

本格的な「マインドフルネス」を1週間ごとのステップを踏んで身につけていくことができるプログラムになっています。

脳と心がどう作用するとストレスが生まれるのかなど心の仕組みの解説も面白く、マインドフルネスのベースとなった「禅」の教えのエッセンスを現代流に分かりやすく解説されています。

CDを聞きながらアナウンスにしたがって心を見つめていく瞑想ワークが中心ですが、超初歩的な「レーズンを見つめるだけの瞑想」から「慈悲(おもいやり)の瞑想」まで2ヶ月でマインドフルネスのコーチに直接指導を受けたようなしっかりとした内容となっていますよ。

私もこの本を持って丸2ヶ月、座ったり時には動いたり(!)しながら瞑想をしましたが、この本をきっかけにマインドフルネスが習慣付いたと言っても過言ではないくらい。

マインドフルネスは一度習慣になっちゃえば傷つきにくいメンタルを身に付けることができるので、めんどくさそうだからと「食わず嫌い」なのはもったい無い!

根本から物事の見方を変えるマインドフルネスを明日からはじめてみませんか?

ではでは。