こんにちは。横浜大好きBliss(@Bliss_Blink)です。
横浜のお出かけスポットは山下公園、その山下公園のすぐそばにひっそり浮かぶ「
あ〜あの船ね!・・と見たことはあるけど乗ったことはないナゾの船という印象を持っている人も多いんじゃないでしょうか。
かくいう私も一番最初に見学したのはかれこれ遡ること30年前、小学校の遠足で横浜を訪れた時に乗った記憶がよみがえりました。
氷川丸はその後、経営の都合で一旦は閉鎖されていたものの2016年に復活。再び見学できる文化財として現在も横浜港に鎮座しています。

今はひっそりと横浜港に浮かぶ氷川丸ですが、戦火を生き抜いてきたスゴイ船なのは意外と知られていません。
変わりゆく横浜の街を港からどんな思いで見てきたのでしょう。(N○Kドキュメンタリー風に)
30年ぶりに氷川丸の中へ行ってきました!
そこはめくるめく昭和アンティークのロマンがありました。
※ページ内の写真は加工してあります。
チャップリンも乗った豪華客船は正真正銘のヴィンテージ
氷川丸横のデッキから船内へ入るとすぐ、大きなインフォメーションがお出迎えします。
入場料(一般300円 小中高生100円)を支払うとさっそく順路に沿って船内を散策することができます。
船内はライトで十分明るいですが、ところどころ閉鎖されたままの船室もあったりと、船舶文化の香りが感じ取れて趣きあります。

船内の廊下は長くてむき出しの配管やレトロなサインに無骨に塗られたペンキがなんとも言えないヴィンテージ感!
廃墟好きにはたまらないんじゃないかな。
↓この丸窓良いよね。旅人がこの小さい窓から海の向こうのシアトル港を夢見たんだろうな〜と浸ってみた。
ガラスの歪みによって街が閉じ込められたように反射する丸窓。
↓一等客室は今で言う「ファーストクラス」でしょうか。あの有名な喜劇王チャップリンも滞在した部屋だとか。
さりげなく半円形に置かれたシーツの「飾り」も趣向を凝らしたものになっていて、このベッドメイキングは「朝日」をイメージしたものだそう。
見学では客室の他に「一等社交室」「一等喫煙室」さらに「一等食堂室」を周りながら当時の社交会の様子を見ることができます。

華やかな客船も太平洋戦争が始まると一転。負傷した兵士を救護する病院船の役割をしました。
展示室のパネルでは戦時中に氷川丸に携わった証言を読むことができます。どれも興味深いです。
ヴィンテージ感溢れる室内
日本の港と海外の港を行き来していた氷川丸は日本人の乗客の他に外国人もすごく多かった。
なので英語表記のサインがところどころにそのまま残されているのですがどれも凄くカッコいい。
氷川丸では上流階級の客室はアール・デコで統一されているのですが、デッキや通路では西海岸のインダストリアル(工業的)でカジュアルな雰囲気もミックスされていたりと面白い発見があります。
↓こんなサインとか雰囲気あります。そのままバーのインテリアになれそう。
↓換気口?空調設備の説明でしょうか。手書きのイラストの雰囲気が好き。
デッキにさりげなく置かれた救命浮輪に書かれたHIKAWAMARUの字体が◎。
ところどころペンキが剥げて、風雪に晒されてきた船体の時が止まったよう。インダストリアルなサインがたまりません。
船用ライトの雰囲気がノスタルジック。
船長室のデスクにある奇妙なラッパのようなものがニョキッと出ています。
↓その貴重な伝声管が氷川丸にもありました。これ!!

これは
無線や内線電話がなかった時代、部屋と部屋を管で繋げた管を使って会話をしていました。
どうやって会話するのかはもう想像通り。
糸電話のように片方は口に当ててしゃべると片方に声が伝わるというわけ。
船長室上にある操舵室には今は使われることがなくなったアナログな計器類があってどれも大変貴重なものでした。
今ほど電気に依存していないので操縦なども全部手作業で行われていました。
さらに操舵室には船の名前の由来となった「氷川神社(埼玉県さいたま市)」が祀られています。唯一この氷川丸だけ戦火の中にあっても沈まなかったのは祀られた氷川神社のご加護があったからだとも・・。
↓埼玉にお越しの際はぜひ。
船長室自体はとても小さく、船長室横のデッキからは横浜港が目の前に広がります。
現在も赤レンガ倉庫までの汽車道の遺構が残っていますが、デッキからどんな景色が広がっていたんだろうと想像すると感慨深いですね。
横浜ってみなとみらいのハイソなイメージが強いのですが、街の至るところに歴史の歩みを感じられるノスタルジーさも合せ持つ都市でもあるんですよね。ステキ。