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世界で一番暗い場所とは?「極夜行」を一気読み!


こんにちは。BlissBliss⋆*@テキトーでもうまくいくです。

ここのところ、日が短くなるスピードが上がってませんかか?

夕方5時過ぎるとなんか急に薄暗い感じになってますけど!?

実は今、寝不足です。

夜寝る前にある本を読んだら止まらなくなってしまい、「あ、寝なきゃ!」と読むのを中断して眠るを3日間繰り返し、最終日の昨日は朝方まで一気に読了した本です。

それは『極夜行| 角幡唯介』です。↓ ↓ ↓

以前、たまたまつけたNHKでやっていた特集を見て、世の中には珍しいことをする人がいるんだと、深夜にも関わらずある冒険家の旅に目が釘付けになりました。

本書は「世界で一番暗いところ」と言われる-40℃の氷と雪の支配する「究極の極夜」を目指して著者の探検家・角幡唯介さんが相棒の犬・ウヤミリックとソリで旅した記録です。

一人の日本人探検家をそこまで駆り立てる「極夜」とは何なのでしょう。角幡さんがそこまでして危険な地へ向かうその訳とは?

世界で一番暗い場所「極夜」に迫る

極夜
(画像はイメージです)

日本では「白夜びゃくや」も「極夜きょくや」もどこかで聞いたことはあるけどピンとこない存在かもしれません。

それにはまず、「極夜きょくや」の存在を理解しておかねばなりません。

太陽が一日中沈まない現象を白夜、反対に太陽が地平線から上に上がらない現象を極夜と言います。

白夜も極夜も北極や南極に近い場所に見られ、一年のうち数カ月〜最長半年も続くという極夜の時期では、一日中太陽が差さない文字通り真っ暗な日が何日も続く。

極夜は北極や南極に近ければ近いほど期間も長く、そして寒く暗い。

探検というよりも一人しかいないのでいわば一人旅なのですが、この旅の何が怖いかと言えば、北極圏のグリーンランド・シオラパルクの町に人が住んでいる以外は向こう数十キロに渡り人っ子一人いない、「完全なる孤独の世界」に向かうこと。

旅の途中頼れるのはソリを引っ張る犬のみで、北上を続けながら4ヶ月に渡り真っ暗な世界を旅する、いわば究極の一人旅なのでした。

エベレストなどの極地への探検は「死」と隣り合わせと言うけれど、極夜の旅はもう「死の世界」そのものを旅するような沈鬱な旅と言えるのです。

変わりばえのしない真っ暗な世界を、GPSなどの文明の利器は使わず、地図とコンパスと経験を頼りに手探りで何十キロ先を目指すという孤独を極めた一人旅は、自然をありのままに受け入れることしか出来ません。

動物園では人気動物である可愛いセイウチやシロクマも北極圏では人間を襲う脅威となり、

現代ではビルの谷間にちょこんと見える景色の一つにしか過ぎなくなった月も、極夜の世界では地を隅々まで照らす偉大な女神の化身へと変化を遂げます。

凄まじい寒さと目の前1メートルぐらいしか見えない暗さのなか、地を這うようにしてウサギやオオカミの足跡を追いかけ、「巨爆」と表される猛烈なブリザードに行く手を阻まれる。

あざ笑うかのようにハプニングばかりで何一つ計画通りに行かなくなり、途中からいよいよ食料も底をつき餓えそうになり…

頼みの犬・ウヤミリックをいざという時に食料にする計画があったのですが、それもいよいよ現実のものとなり不穏な状況に陥ってしまうのです─。

視覚が閉ざされると人間はどうなるのか

私は探検家の本はいまいち食指が伸びず、普段手に取ることはありません。(すみません)

「エベレスト?K2?うわ〜大変だろうな〜」ぐらいで、探検に関しての興味はもともと薄かったのですが、「極夜の旅」だけはなぜか読まずにいられなくなりました。

普通の探検とは何か違う、異質なものだと直感したからなんですね。

惹かれた理由の一つに「極夜=視界が閉ざされた闇の世界」を旅するということだからでしょう。

4ヶ月もの間、光の届かない闇を進むとどうなるのかを知りたい気持ちがありました。

「紺色をうんと濃くしたような」と表現される闇の世界─ 目から見る情報・視覚はほとんど頼りにならず、現に、著者の角幡さんは旅を進むに従って視覚よりも体の皮膚の感覚を使うようになったそうです。

人間は情報のほとんどを視覚に頼っているので、視覚が閉ざされると本能的にその他の感覚を研ぎ澄まし、自分が今地図上のどこにいるのか、どこへ向かっているのかを把握しなければなりません。

何とかして外からの情報を得られなければ前に進むことも後ろに下がることもできない=すなわち死に直結してしまうのです。

その場でもたもたしていたら凍死、地図をちょっとでも読み間違えたら食料倉庫に辿りつず餓死、ほんのわずかに進む方向がズレたら遭難、待っているのは死あるのみ。

手元ぐらいしか見えない暗闇の中、4ヶ月という気の遠くなる期間に確実に遂行していかなければならないのです…。

もう何が何だか想像できませんが、とにかく人間の限界に挑む旅ということは伝わってきます。

相棒の犬・ウヤミリックの健気さ

犬ぞり
寒い地方の犬(画像はイメージです)

相棒の犬・ウヤミリックは現地の人に「首輪」を意味する名前を与えられたとかで、気になるのはネーミングの味気さ。

実はこれには理由があります。

グリーンランドの極寒の地・シオラパルクに住む人は、犬をペットではなく犬や馬などの家畜として扱い、犬は犬ぞり用の労働力として極めてドライに見ているようなのです。

だから著者の角幡さんも労働力としてウヤミリックを扱い、ウヤミリックが怠けているとゲキを飛ばしたり、時に叱咤したりして過度に馴れ合うこともなくドライに犬に接します。

極寒の地で貴重な労働力として人間に君臨してきた犬はこの立場をわきまえており、適度な距離感でご主人様と接するのですが、とはいえ元は犬。時々ご主人様の仕事を放り出して犬の姿に戻ったり、犬っぽくテンション上がって取り乱したりすることがあり、ウヤミリックの見せる健気さと賢さに読者は胸を打たれるのです!

-20℃の凍てつく氷の上でも平然と眠る犬と、防寒着とテントの重装備でしか生きていけない人間、果たしてどっちの立場がエライのだろう…

旅の途中からは角幡さんの旅よりもむしろウヤミリックの動向に感情移入してしまい読む手が止まらなくなったのは内緒です。

神話の世界のような不思議な旅紀行

角幡さんはいよいよ極夜旅へ向かう前日、シオラパルクの町から家族へ国際電話をしているのですが、「これが最後の電話」と言い放っており、しかも出発の直前になって鬱っぽくなって電話口で奥さんに愚痴をこぼしては「出発したくない」と涙をこぼす始末。

奥さんと可愛い盛りの幼いお嬢さんを持つパパでもある著者が、わざわざ極夜に行って危険にさらされて誰が得をするの??と疑問が沸いてきます。

著者が自然の”兆し”を捉えながら不思議な力に支えられて旅をする姿は、パウロ・コエーリョの名著「アルケミスト」が頭をよぎりました。

「結局、人は自分の運命より、他人が羊飼いやパン屋をどう思うかという方が、もっと大切になってしまうのだ」

自然と会話をして時に畏怖する姿は神話のようで、ひたすら自分の感情と向き合う独白は「内観」であり、角幡さんのユーモアのある文体もあいまって不思議な旅の印象を残します。

かと思えば旅全体を通して見てみると、聖書に出てくるあの有名な逸話「ヨブ記」を彷彿とさせ、ヨブ記で神に試されまくるかわいそうな人間の姿と重ね合ってしまうのです。

2月を迎え長い極夜が終りを告げるころ、数ヶ月ぶりに、いや人生で初めてかもしれない太陽が地平線から顔をあらわす時、著者は一人心に秘めていた極夜の本来の目的を達成できるのでしょうか。

生きる意味とは、人間の本質とは何か─。すっかり使い古された言葉だけど、ここまでこの問いかけに沿った本はないと思うのでした。

感動とかでは言い表せない本質への旅に心が震える本です。

もう秋の夜長なんて屁でもない、うん。