こんにちは。Bliss(@Bliss_Blink)です。
先日、知人から頼まれて在宅で請け負っていた仕事を一つ辞めました。
やめたら肩の荷が下りて気持ちがスッキリ!これほどやりたくなかったのか〜と自分を見直すきっかけになりました。
知人の紹介とは言え、本音は単調で嫌でたまらなかった仕事だったんです。
本音はやりたくないけど知人の義理があるから…なんてカッコつけて続けてきました。
しかし時間的にも制約されるし単調でつまらないし、まさに惰性で続けている状態でポテンシャルがどこにもなくなっていたんですね。
常々「嫌なことはバッサリやめる」をモットーにしていたのに、嫌なことに慣れてしまう=惰性になってしまうと途端に「嫌なこと」が見えなくなる怖さがあります。
やめるなら今だとハッと我に返った私は、思い切って相手側に断りの電話を入れその日にやめることができました。
もっと早く辞めればよかったのにね。
この数年で続けていても何にもならない、むしろストレスになるようなことをやめていますが、
嫌だと思っていることをやめればやめるほどプチストレスから解放されて、知らない間に増えていた顔のシワが減ります。(笑)
本当は嫌だけど惰性で続けているものをやめる
本音は嫌なんだけど仕方なく続けているもの。
本当はやめたいんだけどずっと続けていたから惰性でやっているもの。
毎日の生活の中にある「本当は嫌だけど続けているもの」を探してみてください。
誰でも一つや二つ、必ずあるんですよこれが!
↓本当は嫌でやめたいのに続けているこんなこととか。
タバコ、深酒、深夜の夜食、間食やお菓子、自分の好みではない服装・髪型、夜更かし、早起き、 節約、無駄づかい、…
↓当たり前に引き受けているけど内心イヤイヤでやっているな〜と感じるこんなこととか。
嫌なクライアントからの案件、PTAの仕事、明らかに効率悪いのに惰性でやっている仕事、車の運転、ラッシュの電車通勤、ママ友との付き合い…
究極的には「腐れ縁の彼氏(彼女)」「今の仕事」「結婚生活」なんてのも出てくるかもしれません。
毎日やっている嫌なことなのに誰も文句を言わないことの一つに家事があります。
家事も一つ一つ探してみると本当はやりたくない嫌なことが紛れていることに気づくんですね。
お米を研ぐことも本当は嫌だけど仕方なく続けていませんか?
常々、お米研ぐのめんどくさいなあ〜とイヤイヤやっていたのですが、冬の時期は特に水が冷たくて辛い季節です。
ちょっと値は張るけど思い切って無洗米にしたら超ラクチンで驚きました。
水をサーっとお釜に入れて炊飯器のスイッチを入れるだけで終了です。
わざわざ冷たいお水に手を突っ込んで何度も水を入れ替えてお米を研いでいたのが馬鹿らしくなるくらい時短になりました。
もちろん、精米してお米を研ぐ炊き方も時には良いですが、毎日の生活の中で続けるとなると意外と大変なものです。
Appleの創業者である故スティーヴ・ジョブスと言えば黒いタートルネックにデニムの出で立ちで壇上に立ってプレゼンをする姿が印象ですが、
毎日の服を「黒のタートルネック」×「デニム」に固定して、同じ服をたくさん持っていたことはよく知られています。
その理由は「毎日何着て行こうか決めるのメンドくさいし、クローゼットの前で服を選ぶ時間が無駄だから」の一言に尽きると思うのですが、とても起業家らしい合理的な考え方ですよね。
ここまでくるとちょっと極端ですが、「朝は服を選ぶ時間がないから一週間分の服を前もって決めておく」なんて考え方は取り入れてもいいかもしれません。
当たり前に続けている家事についてもどんどん簡単にしちゃえば良いのです。
お米研ぐの嫌だから無洗米にする、食器洗うの大変だから食洗機を導入するというのも、本当は嫌だけど惰性で続けていることをやめるポイントですよね。
世間ではなくあなたが嫌だと思っていることをやめる
周りがダメだと言っているからではなく、あなたが「嫌だやりたくない」と思っていることを探してみてください。
間食でお菓子がやめられないことが嫌だとしても、蓋を開けてみれば本音ではお菓子が大好きでやめたくないと思っていたとする。
嫌だと思っていても、それはTVなどで「間食のお菓子は良くない!」と刷り込まれているからであって、
本音ではお菓子が好きだけど世間では間食のお菓子は良くないとされている = 完食のお菓子はダメだ = 間食のお菓子がやめられないことが嫌だ!と世間の価値観に変換されているだけに過ぎません。
普段口にしている高カロリーで甘いお菓子をフルーツグラノーラにするとか健康的なナッツ類に変えたりすれば
健康的に間食が続けれられると分かったら間食をやめたいなんて言わないはず。
世間がどう言われているか、周りの人がどう言っているかではなく、あなたの本心が好きか嫌いかを基準にするとはこういうことだと思うんです。
あなたが好きか、嫌いか。
そう考えると毎日の生活の中に巧妙に埋めこまれた「惰性で続けているけど本当は嫌なこと」が見えてきませんか?
やめると見えてくるもの
今回私も、本音ではやりたくないけど相手に悪いからと断れず、惰性で続けていた仕事をスパッとやめることに成功しました。
もちろん相手側にやめると切り出すのは勇気がいったし、相手側に嫌なヤツだと思われちゃうんじゃないかと考えたら心臓バクバクものでした。
結果はこちらの心配なんて全くの杞憂。やめることなんて簡単でした。
やめると伝えた時に相手側から丁寧な感謝の言葉を告げられて、さらに担当の方からも深々と頭を下げてくださりこちらが恐縮したくらいで、やめると伝えたら相手からこう思われるんじゃないかと気を揉めたのがアホらしく思えました。
本当は嫌なことなら遠慮せずサッサとやめるべきです。
惰性で続けてきたことほどやめるのにも労力がかかるんじゃないかと思いますか?
だとしたらそれは気のせいです。
今後ずっと嫌なことを惰性でやらされる労力の方がよほど体力を奪われますし、ムダに時間を費やすことになってしまいます。
今回私がそうだったように、やめてみたら拍子抜けするほど簡単ですし、何でもっと早くやめなかったんだろうと後悔することはあるかもしれませんが、やめて後悔することはありません。
特に惰性で続けているようなことならばなおのこと、サッサとやめちゃえと言いたいです。
本当は嫌だったけど続けてきたことを少しずつやめていくと、人の評価に影響されていた自分が段々とブレなくなり全ての物事を自分主体に戻すことができます。
周りの人の否定的な意見や嫉妬、足の引っ張り合いにも引っかからなくなります。
全てあなたがどう思うかで物事を決める決断力がつきます。
決断力がつくとストレスがなくなります。
自分がどう思うかで周りのアレコレを決めていくと、いつの間にか嫌なことややりたくなかったことが消えて、好きでやりたい事「だけ」になっています。
好きでやりたいことだけになると人生楽しいです。
何となく気分が塞がっていているのだとしたら、「嫌だけど仕方なしに惰性で続けているもの」があなたの貴重な体力を奪っているのかも。
やめましょうそんなの。
ではでは。