屋上に庭園のある涼しげなカフェ。
ときおり吹いてくる風が繁華街の屋上にある庭園だということを忘れさせてくれます。
ある女性グループがキャッキャと楽しそうに談笑しているのですが、その内容は愚痴、愚痴、愚痴・・
おそらくその場にいない誰かの悪口でしょう。
目の前のおいしいコーヒーやプランターに所狭しと茂った可愛い南国の花には一切目もくれず、
ぺちゃくちゃと愚痴話に花を咲かせていました・・。
つまんねーの!
すぐ後ろの花壇の花なんて目に入らない様子で、 ましてその花に引き寄せられてきた可愛い蜂の姿なんて目に入らないんだろうな。
幸せはそこらじゅうに落ちてるのにー!
独断と偏見ですが、いつもハッピーな人は小さな幸せを見つけるのが上手です。
逆に口を開けば不平不満だらけで「幸せになりたいな〜」とか「何かいいことないかな〜」が口癖の人はいつまでたってもその「幸せ」を見つけることができません。
花壇の花や街路樹の葉の青さ、ホウキ雲と空の青さ、
軒下につながれた犬の可愛らしさ、立ち寄ったコンビニで買った淹れたてコーヒーのおいしさ・・・
小さな幸せってホントそこらじゅうに落ちている。
それを全く目に映らないかのように生きている人が苦手です。
電車の外を流れる景色を全く見ない人、
空や雲を見上げて「キレイだな」と思えない人、
そもそも道ばたに落ちている美しさに気づかない。
そんな人が苦手です。
私たちは刺激のシャワーの中を生きている
忙しくて外を見る暇なんてないのはわかる。
でもなんかこう、目の前の現実しか見えていなくていっぱいいっぱいで、
小さい何かに感動できる感性とかがカラカラに乾いちゃっている人多い。
だまっていても刺激が飛び込んでくるそんな激しい世界に生きているのが原因かもしれない。
今話題のVRもしかり、スマホゲームもしかり、
あ、いいな!と思った曲も待たずにすぐ手に入る。
私が子供の頃は考えられなかったような刺激的でワクワクしっぱなしの日常を、今の子供達は当たり前のように送っているワケです。
でも、あまりにも強い刺激にさらされているうちにちょっとやそっとのハッピーなことぐらいじゃ心が揺さぶられることがなくなってしまった。
それってなんか淋しいなと思います。
目の前では蜂がせっせと花の蜜を運んでいるかわいらしさがあるのに。
・・と、そんなことを横濱中華街のど真ん中のとあるカフェで思ってました。
こちらの屋上庭園にはなんと足湯があるのですが、30度超えの蒸し暑さが気にならないくらい気持ちよかったです。
可愛すぎて食べられないパンダあんまん。
そんなに見つめないで↓
パンダのあんまんの向こうに
銅鑼は厄払いの効果があるらしい。
叩くとゴーーンと荘厳な音が鳴り響きました。
ではでは!