テキトーエレガンス

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平成最後の下半期に激動の平成をテキトーに振り返る


短すぎる梅雨明けからいきなりうだるような猛暑で夏がスタートしました。

あっという間にもう7月。

衝撃的な話題を耳にしました。

実は今「平成最後の下半期」なんだそうです!

どういうことかと言いますと、来年2019年に天皇陛下の生前退位にともない元号が新しい元号に変わることで 来春に30年に及ぶ平成の歴史にピリオドが打たれるわけなんですよ!

え?知ってた?

で、・・ですよね〜。

恥かしながら、最初「平成最後の下半期」を耳にしてもてんでピンと来なかった私・・。

ただの無知ですスミマセン。

「平成最後の夏だ!秋だ!平成最後の年末年始だ!正月だ!」

こんな感じでこれからのイベントが感慨深いものになっていくんでしょうか。

一昔前西暦2000を迎えた「ミレニアム」の熱気を彷彿とさせる謎のワクワク感を予感してしまいます。

こんにちは。Bliss⋆* (@Bliss_Blink) | Twitterです。

突然「平成」がやってきた

平成の始まりの頃ってどんなだっただろうと思いをめぐらしてみると、バブルが冷めてきた平成元年を思い出しました。

平成元年を迎えたとき私はちょうど小学生でした。

激動の昭和から平成に変わるとき、そう、昭和天皇の崩御ほうぎょは特に印象に残っているんですよね。

崩御ほうぎょって平成生まれの人には聞き慣れない言葉ですが、

崩御=「天皇がお亡くなりになる」ということ。

当然国を挙げての葬儀ですから、全国の公立の学校は臨時休校になり国中が喪に服す日なんです。

厳粛な雰囲気とは裏腹に、世間の子供達はその日何して遊ぶかのことしか頭にありませんでしたね。(不謹慎でスミマセン・・)

当時の庶民の日常的な娯楽といったらテレビぐらいのもので、一斉にテレビ番組が崩御の内容となったため暇を持て余した人がレンタルビデオ屋に殺到していたなんて話も聞きます。

(どうりで天皇崩御の日に「ホームアローン」とか「ポリスアカデミー」のビデオを観せられていた記憶があるわけだ・・)

なんとな〜く平成が始まったと思ったらすぐにアメリカとイラクが戦争をおっ始め、(湾岸戦争) 学校で戦地のTV中継を見せられた時は、飛び交うパトリオットミサイルの閃光を見てみんなで「花火みた〜い」と呑気なことを言っていた記憶があります。 「対岸の花火」とはまさにこのこと。

1995年には直下型地震で沢山の犠牲者を出した阪神淡路大震災、 高校入学したと同時に、あの前代未聞の地下鉄テロ「地下鉄サリン事件」が起こりました。

地下鉄サリン事件以降、毎日のようにオウム真理教関連のニュースが 上祐氏がお昼の番組に登場しては、人を論破しまくる姿は誰の目にも印象に残ってるんじゃないかと思います。

地下鉄サリン事件は異次元の恐怖を感じた事件でもありました。

(この記事を書いている今日、麻原死刑囚含め数人の幹部の死刑が執行されたと報道があってタイムリーで驚き。平成の終わりの声を聞く前に一連の事件の区切りをむかえたんでしょうか。ご遺族には終わりはないのはもちろんですが。)

女子高生ブームに乗った青春時代

1996年の女子高生ブームに乗り、周りは「アムラー」や「コギャル」「ガングロ」な女子高生だらけ。

女子高生は勲章のように輝く白いルーズソックスをたなびかせて街を闊歩していましたね。

(でもね、あのルーズソックスって床を引きずってしまうので実際は汚いですから!)

ルーズソックスって何でずり落ちないの?と疑問に思うかもしれませんが、あれ、止めてるんです「糊」で。

厳密には「ソックタッチ」というルーズソックスを固定する専用の糊が可愛いパッケージで売られていました。

そのソックタッチがなくなると本当に「ヤマトのり」を使うんですが、これがスゴイ強力で走ろうが雨に濡れようが落ちません。(笑)

▲ルーズソックスはテキトーに弛ませてダブつかせているわけではなく、キレイに見えるダブつき黄金律が存在します。


ちなみにルーズソックスってどのブランドでも良い訳じゃなくて、れっきとした本家ブランドがあるんです。

「スミスのルーズソックス」が最上級であり、スミスのルーズソックスがスクールカースト上位のリア充女子にヒットした後は、 徐々に他のタイプの女子まで浸透していくことになりました。

アイコン的な女子高生はみな「ルーズソックス」を履いていてわかりやすい時代でしたよね。

「コギャル」や「アムラー」が産まれたのもこの時期だったしね。

モバイル<黎明期れいめいきをむかえる!

今でこそ当たり前にみんなが持ってるモバイルが急激に進化したのも10代の頃でした。

高校時代にモバイルが進化していく過程を過ごした私は、ポケベル、PHS、さらには携帯電話に至るまで時代の流れに合わせて持ってしました。

一時期大ヒットしたポケベルなんて、文字を入力するだけで一苦労。

50音の文字に対応した数字を暗記して電話機のプッシュボタンに一文字づつ入力していくという、今では考えられない手間があったんです。

ポケベルブームの終わりに念願のポケベルを手にした私は、遅れまいとせっせと暗号のような「数字」を覚えることに勤しんでました。(勉強しろ)

▲ 今じゃ外で見ることがなくなった公衆電話。
ポケベルにメッセージを送るために女子高生が公衆電話ボックスの前で列をなしていました。


幸いポケベルを持っていたのは一年という短い間でしたが、「暗号」のような文字入力が妙にワクワクするんですよね。

離れた人と一瞬で意思疎通が取れる今だからこそ、ポケベルのような超ローテクな物が恋しくなったり。

2000年代に入ってからも世界を震撼させる出来事は続き、あの忌々しい9.11同時多発テロを皮切りに、記憶に新しい東日本大地震まで、世界を揺るがす大きな事件は続きました。

平成もかなり激動の時代じゃね?

ふと気がつけば平成も29年も経っていた今、こうやって振り返ってみると結構濃ぃ〜い時代を生きている私たち。

「平成」って確か、太平洋戦争と貧困の悲惨な時代に終わりを告げ、穏やかで平和な時代になりますようにという願いをこめて命名されたんじゃなかったっけ?

新しい元号が「平成」になると聞いた途端、戦争を経験して人並みに苦労してきたおばあちゃんが、 「平和な時代になるから平成になったんだねぇ〜」とつぶやいていましたが、

この29年の間も昭和に負けじと劣らず激動でした。

そんな何かよくわからないけどスゲー時代が終わりを告げようとしていると想像すると、まるで私の青春の一時代を区切られて編集されて、 「平成」とラベリングされてどこかの棚の奥に整理されてしまうような、ちょっぴり淋しい感覚を覚えます。

平成の次の元号になったら「昭和生まれ」なんて虐げ・・いや、崇められる存在になることでしょう。

昭和生まれが「仙人」として尊敬されるようになるか、それとも「化石」として小馬鹿にされるようになるのか、私たちのあり方次第。

子供達の世代に良いものを残してあげられるように頑張らないと気を引き締めなくちゃね。

そんなあと昭和末期生まれの私がつぶやきました。

平成最後の〇〇。

あなたにとって平成はどんな年でしたか?