え?いつ?何これ?といろいろ調べたところ、使いもせずずっと引き落とされていたサブスクサービスだと判明。
気づかないうちにしれっとお金を払い続けてしまう様はまるで、ジワジワと家の柱を食い尽くしてくシロアリを連想させました。
恐ろしやサブスク。
サブスクサービスは便利っちゃ便利で、私も利用していたりするのですが、いかんせん人間は慣れると気にも留めなくなるものなので飽きちゃったり慣れたなと感じた時こそ注意です。
一旦開始すると解約するのが面倒に感じる人間の心理を知ってか知らずか、最近なんでもサブスクに移行していくサービスが多いように感じます。
多分一生使うことはないだろう商品を勧められて困惑しまくる日曜日の午後です。
こんにちは。BlissBliss⋆*@テキトーでもうまくいくです。
今日は普段から意識しておくと楽になるであろう心がけを挙げていきます。
自分に関係のある情報ない情報を区別する
日々、目に入ってくる情報はめまぐるしいものがあります。
朝起きて何気なくつけたTV。何気なく見ている朝の情報番組では美味しいお店の食レボや新商品が紹介され、芸能人が不倫した結婚したといったスキャンダルな話題にも事欠きません。
スマホを見ればありとあらゆる広告やCMを目にするし、電車やバスに乗ってもそう。
家に帰って来れば郵便受けにはダイエット食品やさまざまな宅配サービスのチラシがどっさり。
大人になったら自分にとって必要な情報かそうでないかを判断して即座に選別することができるようになりました。
目新しい情報に何でもかんでもワッと飛びついては失敗した〜思ってたのと違った〜となることもうんと減った気がしますね。
その代わり、目の前の情報が伝えようとしていることは何か、その本質が見極めることができるようになるはずです。
いちいち深く考えないようになる
昔々、どこかのえらいフランス人が「人間は考える
1日6万回も思考をすると言われる私たちは、暇さえあれば考えて考えて考えまくる動物なのです。
仕事や重要な決断の際には深慮深く考える必要があるかも知れませんが、そうでない時の私たちは大抵どうでも良いことを考えて勝手に自分ワールドに没入しています。
日曜日の朝このブログを書いていますが、この30分の間にこんなことを考えていました。
「今日のランチは冷食か自炊するか?」「あっちのホムセンで買うかそれとも遠いけどあっちのホムセンに行った方が安く買えるのか」・・
考えては立ち止まり、思い悩み、そのうち先行きの心配までし始めて不安になる─。
考え続けるから
あれこれ考え続けるから思考がどんどんエスカレートして悪い方へ行ってしまうのだと気づけば、考えがエスカレートして膨らむことを自分で止めることができるようになります。
脳みそは次から次へと別の思考を紐づけて連想させて、倍ぐらいに話を膨らまして大げさにするのが大好きなので、好き勝手にさせないためにも途中で考えるのをやめちゃいましょう。
ではどうやって思考を止める?気づいて止めちゃうだけです。
ああでもないこうでもないと考え始めたら、あっ今考え過ぎてたなと気づけばOK、自分で気づいた時点で不思議と思考って止まるものです。
ダルマさんが転んだ!と言われると反射的にその場でビタッ動きがと止まりますが、それと同じでピタッと止めるだけです。それだけで止まります。
それでも止まらなかったら気をそらしちゃいましょう。座ってたら立ってコーヒーでも淹れるとか、今までとは別の行動を取り出すと止まりますよ。
「ボ〜ッと生きてんじゃねえよ!」とはNHKの人気キャラのチコちゃんが言う決めゼリフですが、別にボ〜ッと生きたって良いんじゃないかと思うんですよね。
だってボ〜ッとしていないと大変です。頭の中はいつも何かの思考でいっぱいになり、必要ないことまで思考は及ぶわけで、そんな息をつく暇もないほど考えまくっていたらヘトヘトになってしまいます。
ボ〜ッと生きているということは今の自分に認めて、自分や周りに対して余計な勘ぐりをしたり思案はせず、安住していい感じに流されて生きているということですから。
変えられるものと変えられないものを知って放っておく
過去は変えられないけど未来は変えられる─
人は変えられないけど自分は変えられる─
昔、尊敬する知人の年配女性から上記の言葉を聞きました。当時は若かったので「へえ〜」ぐらいしかリアクション取れなかったのですが、経験を重ねていくうちにその意味がやっと分かるようになりました。
(「過去は変えられないけど〜」は知人が長い人生経験の中で到達した人生の法則的な思っていたのですが、そんなことはなく、古今東西どこでも聞く格言だと知りました。)
当たり前ですが、起きてしまったことや過ぎ去ってしまった過去のことはタイムマシンが開発されない限りどうすることも出来ません。
つい私たちは自分以外の他人を変えようと躍起になるものですが、そもそも他人を変えることも出来ないし他人を変えようなんておこがましいとさえ思います。
あくまで変わろうと決意して踏み出すのは本人次第であり、あなたにはきっかけを与えるぐらいしか他人に影響を与えることはできないからです。
だから他人を変えようなんて思わない方が身のためです。
私も過去に他人を変えようと試行錯誤してきましたが、こっちばかりがメンタルを削られるだけで当の本人はケロッとしているばかり。徒労に終わりました。
私の気持ちをわかって欲しい、理解して欲しい、と願うものですが、
変わるも変わらないも相手次第なのだ、ということを肝に命じてほっとけばいいと思います。
最初の「過去は変えられないけど〜」の節ですが、経験の浅い若いうちは「エモい」けど「わかりみ」とはならない言葉かもしれません。(意味が分からなかったら調べてみよう!笑)
他人を分析しない「他人スルー力」を意識する
近年、SNSで特定の人に対しての誹謗中傷による悲しい事件があとを絶たず私も心を痛めています。
よくもまあ、1対1で話すどころか、会ったこともない赤の他人を誹謗中傷できるなあと思えるぐらい不毛なことだと感じます。
心の奥底では、赤の他人の発言に対して「自分に関係がある」と思っているから、多分今後も一生会うことがないであろうネット上の他人に対してわざわざ絡んでいくんだと思います。
なぜわざわざ関わろうとするんでしょうね。放っておけばいいのに。構って欲しいのでしょうか。
加えて「自分の考え方こそが世の中の真理である」と絶対的なものだと信じている人は自分と違う考えや価値観を持つ人を認めない傾向があるのかもしれません。
「嫌われる勇気」で日本で爆発的ブームを巻き起こしたアドラーも「怒る奴は他人を支配したい気持ちの表れ」と言っています。
十人十色で世の中にはいろいろな人がいるのだと理解していれば、他人をジャッジしようとか変えようとかそんな気持ちはさらさら起きません。
身の回りの人に対しても受け止めることができるようになります。
あの人はなぜああなんだ!とプンスカするのではなく、まあそういう人もいるよねと認めて放っておく。
そこで周りに危害を加える人ならば近寄らず、離れてその後関わらないようにするだけで勝手にうまくいきます。
周りの変なヤツに構わなくなればなるほど引き寄せの法則が働いて、良い人ばかりになってきますので嬉しい効果もありますよ。
スルー力はなあなたを救う
近年はSNSの普及によって他人の思考や生き方が自分の意に反して入ってくる社会なので、「自分は自分、他人は他人」と自他の区別が付きづらくなっているんじゃないかと思います。
なんか知らんけど勝手に大騒ぎしている世界があるぐらいのスタンスで、自分とはカンケーない外のことをピシャリと締め出してしまいましょう。
外で起きていることを自分と何か関係あるのではないかと信じ、自分の問題だと転換してヤキモキしてしまう・・。そこではやっぱりスルー力だったり考えなかったりと、「物理的にその対象から離れる」ことがベストなんじゃないかと思いました。
特に共感力や感受性の強い人や、何かと思案にふけりやすい私のような内向型タイプの人は普段から不安になりやすく周りからの影響を受けやすい。
自分がそういうタイプだと認識したら今年からは「スルー」「考えない」「変えられないものを変えようとしない」と手放す方へ意識を向けてみませんか?
毎日の生活がグッと楽になり、目の前のやるべき事ややりたい事だけフォーカス出来るようになりますよ!
ではでは。