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「クリぼっち」が共感を得たわけ


クリぼっちが共感を得たわけ

クリスマスが終ってもイマイチ「年末だな〜」と感じにくくなった私です。

こんにちは。BlissBliss⋆*@テキトーでもうまくいくです。

ツイッターではクリスマスを一人で過ごす「クリぼっち」がトレンドワードに上がっていました。

恋人のいない人たちが家で寂しく一人でクリスマスの夜を過ごす…そんな自虐の嘲笑の意味を込めて数年前ぐらいから「クリぼっち」という言葉が出るようになりました。

我が家も母と子二人だけのしょぼいクリスマスなので、クリぼっちと聞くと人ごとではないと感じてしまうのです。

どう見てもネガティヴな印象しかなかった言葉なのですが、最近では「クリぼっち上等!」と前向きで肯定的な受け取り方をされているようです。

クリスマスの時期に恋人がいないと哀れみの目で見られてしまう風潮に、特に若い人たちが、クリスマスに一人で過ごして何がいけないの!?と反旗を翻したのだと思います。

一人で過ごすのはダサいと思われてきた風潮に、一石を投じるこの「クリぼっち堂々発言」には、とても共感できるのです。

クリスマスの過ごし方は一つじゃなかった

子供の頃、クリスマスって特別なイベントでしたよね。

クリスマスにはケーキやチキンを食べて、一晩寝たら明日にはどんなプレゼントが届いているのだろうかと期待に胸を膨らませていると。

クリスマスの食卓でTVをつけるとクリスマス特番一色で、大人たちは恋人といるんだと子供ながらに思った記憶があったり…🌲✨

そんな当たり前だと思ってきた「理想のクリスマスの過ごし方」が近年崩れ始めているというのです。

流れてくるクリスマスソングっていつも一緒だと思いませんか?

クリスマスの時期になると流れてくるのは決まって定番の山下達郎やワム、マライヤ・キャリーなど20年以上も前のクリスマスソングであり、クリスマスソング自体新たに作られていないのではと疑うほど時代が止まっている。(若い子ワムとかマライヤキャリー知らないよって…)

これは気のせいじゃなく、近年ではクリスマスそのものが一大イベントではなくなった背景があり、クリスマス商戦期であっても思うように物が売れなくなってきたとデータもあります。

家族のあり方やライフスタイルの変化、若い世代の貧困問題で露わになってきた子供の出生率の少なさなど、今の日本を取り巻く社会事情も影響しているかもしれません。

SNSの普及によって、自分と同じ考え方をしている人がすぐに見つかり、なんだみんなも醒めた目で見てたのかと共感を得やすくになったことも挙げられるでしょう。

クリスマスだからといって恋人作りに焦っていたのは昔の話。

昔のように、この時期はこのイベント!とみんなの興味や関心が一辺倒な時代は終わりを告げ、自分で探して興味や娯楽の関心を見つける時代です。

若い人は昔ほど恋愛にそれほど関心がなく、誰と過ごすか過ごさないかなんて楽しければ良い。いたって自由な発想を持っています。

「クリスマスはこういう過ごし方をするもの」という確固たる固定観念が薄れて、クリスマスに盛り上がっても良いし別にクリスマスにノラなくても良い、みんなと過ごしてもいいし家で一人のんびりしていてもいいと、多様な意識変化が生まれたのは良いことです。

昭和の時代からみんなで縛られてきた「理想のクリスマス像」はそれぞれの小さな意識変化によって崩れてきたのです。

画一的でみんな一緒の価値観から、みんな違ってみんな良いの価値観へ、そんな未来を「クリぼっち」というワードに見ました。

夢見すぎですかね。

決して私がクリぼっちで寂しいからではないですよ。念のため…。

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多様化が進んだ海外では「メリークリスマス」という言葉が使われなくなったのをご存知でしょうか。

宗教の違いから、イエス・キリストの「復活」を否定する人もいるので、公の場では特に「ハッピーホリデー」とか「ハッピークリスマス」などと呼び方を変えていますね。

ある知人がユダヤ教の人にうっかり「メリークリスマス!」と言ってしまい、割と本気で怒られていたのを目の当たりにし、日本人には馴染みの深い「メリクリ呼び方問題」も人ごととは思えないのです。

日本ではクリスマスになると某フライドチキン店に行列を作りますが、海外の人には滑稽に映るようで、その様子を見て「クリスマスにジャンクフード食ってどうするんだ」と言っている人もいるとか。

あ〜確かにそうかもねと、ちょっと笑ってしまいました。

七面鳥じゃなくてチキン、ケーキを食べちゃう日本のクリスマスだってアリなのです。

令和元年も残すところあと5日。

ではでは。