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健気に生きる底辺層を描いたイギリス映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」は対岸の火事ではない


相変わらず新型コロナの影響によって終りの見えない状況が続いています。

こんにちは。BlissBliss⋆*@テキトーでもうまくいくです。

最近「対岸の火事」という言葉をよく見聞きしますね。

日本政府が豪華客船・ダイヤモンドプリンセス号内でのコロナ陽性患者への対応に奔走していた時、まるで人ごとのように日本の対応を批判まくる諸外国の態度を「対岸の火事」と揶揄していました。

それがいつの間にか飛び火して今や立場は逆転。外国で起きていることだからとはいって決して軽んじてはいけないと痛感しました。

さて。

かつて「一億総中流」なんて言われていた日本ですが、それは遥か昔の話。今は日本でも連日のように貧困が問題として取りざたされています。

日本も「対岸の火事」だなんて思っちゃいけない、ちょっぴり切なさを覚える映画を一つ紹介します。

イギリス映画の「わたしは、ダニエル・ブレイク」です。

イギリスの社会事情とか格差社会とか何の予備知識もなく観たんだけど、う〜ん、考えさせるな。

そっくりそのまま日本人が演じても対して違和感がないようなほど、ハッとさせられましたね。

この映画では、ほんの些細なことがきっかけで然るべき社会制度を受けられず、貧困の入り口に立たされてしまった人たちを描いています。

社会制度から運悪く”こぼれた”人たち

北米の映画のような陽キャな人たちは出てこず、出てくるのは薄っぺらいコートをはおり、ひっつめ髪でスーパーに並んでいるような日々の生活に精一杯の低所得者たちです。

皮肉っぽさはありませんが、どことなく日本と置き換えて親近感を覚えてしまうのは、イギリスも海に囲まれた島国だから??なんて考えちゃいます。(実際イギリス人と日本人は気質が似ているらしい)

イギリスの田舎町に住む元大工・ダニエル59歳。妻に先立たれた後はひっそりと暮らしていたが、心臓の持病が災いし失業を余儀なくされてしまう。給付金を申請するも手続きはトラブルの連続で遅々として進まない。
時を同じくして、二人の子どもと共にロンドンから田舎町へ引っ越してきたシングルマザーのケイティ。
彼女もまた些細なトラブルから給付金を受け取ることができず、融通の効かない国の対応に業を煮やしていた。
ダニエルが手を差し伸べたことでケイティ親子との間にささやかな交流が芽生える。しかしケイティは生活に困窮し万引きをするほど追い詰められていた─。

主人公は元大工の気前の良いおっちゃんダニエル

何やら電話で声を荒げるダニエルのシーンから始まります。

電話口で話す相手はソーシャルワーカー?でしょうか、たった今、何らかの申請を却下された報告を受けたようで、ダニエルは肩を落としています。

ダニエルは現在持病によりドクターストップを余儀なくされ仕事を続けられなくなったようで、手当金をもらうために日本でいうところのハローワークのような機関を訪れます。

同じ時間、シングルマザーのケイティも手当金を却下されたようで、遅刻しただけなのにもらえないってどういうこと〜っ!とハロワ担当者に食ってかかります。

ダニエルも生活保護受けた方がいいんじゃないの?ケイティは「児童扶養手当」でしょうか。もらえないなんてあるの??と多少ツッコミどころはありますが、お役所は「できません」一辺倒で二人の弱者を突っぱねてしまうのです。

お役所の融通の効かなさや、スムースにいかない申請に一度はヤキモキしたことがある人ならうなづける展開に日本もイギリスも一緒だなと、妙な親近感が生まれます。

しだいに追い詰められていくダニエルとケイティ

この映画には「うわ〜もう許してあげて〜」と言いたくなるくらい、観ている側を悲しくさせるポイントが随所あるんですよ。

パソコンという文明の利器を使えないダニエルが、エラーを繰り返すPCの前で呆然とするところ。

さらには、ケイティが極限にいると分かるこんな衝撃的なシーンがありました。

自分の食事を子供に与えて自分は何も口にしなかったケイティは、もう餓える寸前だったのでしょう、手に取った食べ物を見て我慢できなかったのか、公の場で食べ物の封を切ってムシャムシャと食べてしまうんですね。

すぐにハッと我に返って、恥ずかしい!みじめ!と自分のしたことを嘆いて泣き崩れるんですが、これは観ている者の感情をえぐるような悲しさが突き刺さってきました。

シンママとはいえキレイなピアスをつけた若い女性が理性をなくすほどむさぼり食う状況、食べるものに困るってどういう状況なんだろうと頭が真っ白になりますよね。

幸い日本では飢えることなく、またそこまで追い詰められる前に支援の手がちゃんと届く国だと信じたいですが、

あれ、これどこかで聞いた話だぞ?気づいたアナタは鋭いです。

そうです。貧困化が叫ばれている日本でも同じような状況になるポテンシャルは秘めている、いや、すでに同じような状況になっているといっても過言ではないということに。

本当に必要な人に支援が届かない現実

スマホの普及によってはもはやITスキルはあるのが当たり前になり、ほんの数年前までは存在しなかったloTやAIの台頭によって国民総IT化の時代に突入しています。

私の両親もパソコンやおろかスマホ操作もチンプンカンプンですが、マニュアル人間にとってIT化の波はネックになっているようです。

若い頃から大工に従事してきて何でもマニュアルで生きてきたダニエルも同様、本来PCで仕上げるはずの履歴書を鉛筆で書いてしまいハロワ担当者を驚かせます。

ダニエルは「パソコンのマウスを持つ」と説明されてもチンプンカンプンで、申請書一つ仕上げるためにパソコンの前で悪戦苦闘する姿がシニカルに描かれています。

最近ではハローワークが大幅な改正によって年配の人には非常に使いづらいシステムに改悪されたと話題になっていますが、日本でも高齢者を取り巻く現状はまさにこんな感じになりつつあり、アナログな人はどんどんIT化社会から置いてきぼりにされると言われて久しいのです。

ハロワの検索システムが改正によってスマホに対応した分、スマホやパソコンを使えない人はバッサリと切り捨てられたようで、パソコンが分からない人はハロワに来るなと暗に言っていると捉えられてもおかしくありません。

若くして二児を抱えたシングルマザー・ケイティもおそらくIT弱者であり、今までパソコンすら触ったことがない環境にいたのでしょう。

彼らはなぜ延々と同じところで延々と出られないのでしょうか。

おそらく今の苦しい状況から脱出するための「知識」が圧倒的に乏しいことと、驚くほど狭い範囲で過ごしているために苦しい状況にいることすら認識できないのです。

その「知識」とは社会生活で自然に身につく得られるのかもしれないし、時には自分から得ようとしないと見つからないのです。

ケイティには頼れる親類は母親だけ、友達もおらず、育児を一人で抱え、その子供たちも学校で孤立気味という、社会から切り離されたヤバいラインにいました。

多少パソコンが使えれば仕事の幅もグンと広がるし、逼迫した今の状況から抜け出せるのかもしれない、映画内ではそこまで触れていませんが、無知な状況にもどかしさを感じてしまうのです。

変なメッセージ性だとか啓蒙映画のようなギラギラした感じはなく、淡々と日常を写している感じが好印象でしたね。

「弱い者同士に芽生えた友情」にスタンスはなく、どちらかというと、人間の権利とか尊厳がないがしろにされたまま、社会から置いていかる存在があるということを痛に感じました。

キレたダニエルがハロワの帰り道、腹いせにとんでもないいたずらをしようと決意するのですが、このシーンも観ている側としてはキッツイな〜。

ダニエルのように鬱屈したストレスが”いたずら”で済めばいいのですが、それが安易に人に向けられるケースもあることを忘れてはなりません。

日本では、通り魔といった形で抱え込んだ闇を昇華させようとする最悪の事件がありました。

通りがかりの人を無差別に切りつけることで実現しようとした平成最悪の通り魔事件とも言える秋葉原通り魔事件に始まり近年では、新幹線内で隣にいた女性にケガを負わせ男性一人を殺害した通称・新幹線ナタ男事件など、どれも社会へ対する恨みへの歪んだ感情が引き起こしたと一言で片付けてしまうにはあまりにも奥が深い事件です。

そういった背景には、社会の支援が届かない”圏外”に入ってしまったことも一因としてあるのでしょう。

イギリスの話ではなく日本でも起こり得る話と言ったら言い過ぎでしょうか。

ロンドンは一年を通して霧や雲に覆われる日が多いのですが、それを反映してか、映画の中の田舎町の空も曇曇天模様ばかりで泣きたくなりますね。

煤けたような色彩の古い町並みの相乗効果によって閉塞感タップリの世界観となっていて、まるでダニエルとケイティが抱えたやるせない感情の暗喩メタファーとして描かれていたように思いましたが、皆さんはどう思いましたか?

いつも読んで下さってありがとうございます。